中国やロシアでは新型コロナウイルスのワクチン開発がどんどん進んでいます。アメリカも同様ですが、国民のあいだではそれを接種すべきなのか警戒感も高まっているといいます。その背景とは? アメリカ・ボストン在住の医師、大西睦子さんの寄稿です(連載第4回)。

ピュー研究所の調査結果

中国で進む新型コロナのワクチン授与

大西睦子(おおにし・むつこ)
内科医師
米ボストン在住、医学博士。東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。2008年4月から2013年12月末まで、ハーバード大学で、肥満や老化などに関する研究に従事。ハーバード大学学部長賞を2度受賞。現在、星槎グループ医療・教育未来創生研究所ボストン支部の研究員。著書に、「カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側」(ダイヤモンド社)、「『カロリーゼロ』はかえって太る!」(講談社+α新書)、「健康でいたければ『それ』は食べるな」(朝日新聞出版)。

2020年9月26日のニューヨークタイムズ(NYT)によると、中国ではまず、国営企業の労働者が新型コロナウイルスワクチンの投与を受けました。そして、政府関係者とワクチン製造企業のスタッフ。さらに今後、教師、スーパーマーケットの従業員、海外の危険な地域に旅行する人々が接種します。

中国でワクチンを接種した人の数は明らかではありませんが、中国国営企業シノファーム(Sinopharm)は数十万人、北京の製薬会社シノヴァク・バイオテック(Sinovac Biotech)は、1万人以上の中国人にワクチンを投与したといいます(※1:参考文献は記事末にまとめて掲載)。

これまでに臨床試験の枠以外で、証明されていないワクチンをこれほど大規模に投与した国は他にありません。このニュースを知り、世界中の多くの専門家が当惑しています。副作用は大量に起こっていないのか、ワクチンが効かない場合に接種した人が勘違いして安心してしまうのではないか、など、疑問を投げかけます。

2020年7月の科学誌「Nature」に、科学者らは、初期段階の臨床試験で示された免疫反応を比べることを警告しています。第1相や第2相臨床試験で「免疫があった」という結果は、ワクチンの効果があったという意味ではありません。さらに、研究室で測定した免疫反応の値を、別のチームが行った測定値と比較することは難しい。ワクチンが感染を予防するかどうかを判断するのは、あくまでも第3相臨床試験の結果です(※2)。

一方、ロシアは、2020年8月11日、臨床試験を終える前に、新型コロナウイルスワクチン「スプートニクV」について、世界に先駆けてワクチンを承認したと発表しました。ワシントンポスト(WP)によると、ロシアの政府系ファンドは、インドに1億回分のスプートニクVワクチンを供給する契約を締結しました。さらに、ブラジル、メキシコ、カザフスタンも、スプートニクVを購入することに同意しています。

ただし中国では、ワクチンの第3相試験を継続しています。対象者は、アルゼンチン、バーレーン、ブラジル、バングラデシュ、エジプト、インドネシア、ヨルダン、モロッコ、ペルー、ロシア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦が含まれます。WPは、中国の賭けが報われるなら、つまり中国のワクチンが安全で効果的であることが証明されると、ワクチンを強力な外交手段として、中国は2021年の景気回復において西側諸国をリードする可能性があることを指摘します。

さて、北京とモスクワの当局者は、ワクチンを接種した人はすべてボランティアで、ワクチンは安全であると述べています。ただし、両国は発言を厳しく管理しており、懸念の表現は控えめです。

一方、米国では時代とともに、ワクチンの安全性と有効性が進歩し、免疫の理解が深まっているものの、ワクチン開発当時から、副作用や安全性、倫理的な問題についての論争が続いています。新型コロナウイルスのワクチンについても、専門家、国民、政治家などの間で議論が白熱しています(※3)。

アメリカで食い違う大統領と専門家の見解

米国では、トランプ大統領(当時)のワクチンに対する誇大宣伝が繰り返されています。

例えば、2020年9月18日のホワイトハウスの記者会見で、トランプ大統領は、「年末までに少なくとも1億回分、おそらくそれよりはるかに多いワクチンを製造するだろう」「毎月数百万回の投与が可能であり、2021年4月までにすべてのアメリカ人に十分なワクチンが提供されると期待している」と述べました(※4)。

それに対して、米国の専門家は、ワクチンを急いで市中に出すべきではないと主張しています。大統領の言うタイムラインは、米政府の保健当局や民間の研究者、ワクチンを製造している会社ですら一致しないとCNNは指摘します。米疾病対策センター(CDC)のロバート・レッドフィールド所長は、上院予算委員会の公聴会で、2021年の第2四半期または第3四半期(春の終わりまたは夏)に、米国で広くワクチン接種ができるようになる可能性を示しています。ファウチ所長も、そのタイムラインに同意すると述べました。

トランプ大統領も政権の誰も、臨床試験のデータを知らない

ファウチ所長は、「The Daily Beast」のインタビューに、現在、米国のワクチンの臨床試験のデータにアクセスできるのは、データ安全性モニタリング委員会(DSMB)(臨床試験の進行中に患者の安全性と治療効果のデータを監視する独立した専門家グループ)だけだと語ります。DSMBは、通常、専門家や統計学者を含むメンバー(典型的には3~7人)で構成されています(※5)。

つまり、大統領も政権もワクチンをつくる企業も、誰もデータを見ていません。DSMBがワクチンの臨床試験のデータを公開する時期がきたと判断するまで、米国のワクチンの開発がどのように進んでいるかを知る方法はないということ。データは、厳重に保管されていて、ワクチンは政治的な影響なしに開発されています(※6)。

11月の大統領選を目の前にして、ワクチンの開発が政治的なキャンペーンに利用されると、専門家らは、国民のワクチンへの信頼が欠如するのではないかと心配しています。公衆衛生は公衆の信頼がなければ向上しません。

米国民のあいだでワクチンへの警戒心が高まる

案の定、多くの米国人は、新型コロナウイルスのワクチンが、今すぐ入手可能になっても、ワクチンを接種することについてますます警戒心を強めています。ピュー研究所の調査によると、「もし今日新型コロナウイルスのワクチンが入手できたら、あなたは接種しますか?」という質問に対して、5月の時点では、72%(もちろん42%、おそらく30%)の米国人がワクチンを接種すると答えましたが、9月には51%(もちろん21%、おそらく30%)まで落ち込みました。

新型コロナウイルスを接種しないと答えた米国人は、「副作用についての懸念(76%)」「どのように作用するのか詳しい情報を知りたい(72%)」主な理由と述べています。

また米国人の約4分の3(77%)は、新型コロナウイルスが安全で効果的であるかどうかが完全に明らかになる前に、ワクチンが米国で承認および使用される可能性があることを懸念(大変36%、いくぶん41%)しています(※7)。

そんな中、2020年9月、ワクチンの開発に挑む企業であるアストラゼネカ、モデルナ、ファイザー、J&J、バイオエヌテック、グラクソ・スミスクライン(GlaxoSmithKline)、メルク(Merck)、ノヴァヴァックス(Novavax)、サノフィ(Sanofi)の9つの製薬会社は、安全性と有効性が大規模な臨床試験で示されるまで、FDAのレビューのためにワクチン候補を提出しないことを誓いました(※8)。この動きは、早急に多くの人が利用できるワクチンの開発に取り組む中、国民のワクチンに対する信頼を高め、11月の大統領選挙の前にワクチンを接種するという政治的圧力の恐れに抵抗することを目的としています。

前述のように、日本政府は、「ファイザー」と「バイオエヌテック」のワクチン(※9)、「アストラゼネカ」と「オックスフォード大学」のワクチンの供給に合意しました。ただし、これらのワクチンが出回るのは、あくまでも第3相臨床試験に成功して、規制当局の承認を得られた場合です。さらに、アストラゼネカのサイトによると、日本人に接種した場合のワクチンの安全性と有効性を評価するため、日本で第1/2相臨床試験を8月より開始しています(※10)。