最初は取り組み方に温度差があった妊活

 子どもについて考え始めたのは一緒に暮らすようになった29歳のとき。
 
「子どもはずっと欲しいとお互い思っていたんですが、なかなかできない。なんとなく、『私は不妊なんだろうなあ』と思って、仙台にいるときからレディースクリニックに通いはじめました。いろいろ検査は受けたんですが、明確な理由は分からなかったんです。まだ若いし、ということで、当時はタイミング法で妊活をしていました」
 
 東京への転居で通院が一時途絶えたが、34歳のときに都内の不妊専門レディースクリニックに通うようになった。
 
「子宮内膜症、いわゆるチョコレート嚢胞(のうほう)で、それが不妊に関係しているだろう、ということでした。不妊治療をするとしたら、体外受精しかない、と。ただ、夫はそこまでシビアな状況だということを認識していなくて、体外受精については少し尻込みしてしまっていたんですね。そこまでしなくてもいいんじゃないか、いずれできるんじゃないか、って。でも、私はこのままでは子どもはできないし、何らかの治療が必要だなと思っていました」
 
 ナオキさんが体外受精に踏み切れなかったのには理由がある。それは東京で転職を考えていたからだった。自分のキャリアパスが定まっていないときに、子どもを作るというのはどうなんだろうか、という迷いがあったのだ。だが、ユウコさんは刻々と近づくリミットに、焦りが募るばかりだった。

 「このままのらりくらりと妊活を続けても、結果は出ない。だから彼の転職が決まってしばらくして、『お金は私が出すから、体外受精をはじめさせてほしい』ってお願いしたんです。そこでようやく、私の危機感が伝わったんでしょうね。夫も改めて子どもが欲しい、と考えられたようです。2人での生活も楽しいけど、子どもがいたらもっと楽しいだろうね、って」
 
 そうして、本格的に体外受精を開始した。36歳だった。