脳内スイッチは、ない!

ボストンの家にある私の机。いまは英語で発信することが多くなるだろうが、これからも中国語と日本語も同時に使いこなしていく。

 先日、DOY(「だったら、お前がやれ!」の略)編集担当から以下のような質問をもらった。

「加藤さんと言えば中国語、というイメージがありますが、いま英語の世界で生活されていて、どうやって脳内スイッチを日本語→中国語→英語と切り替えているのでしょうか。また、その切り替えるタイミングというのは、やっぱり適応するのに時間がかかって苦労するのか、それとも、まったくそういうことがないのか……」

 単刀直入に答えます。

「ない」

 そもそも、脳内スイッチを切り替えるという発想がない。日本に居ようが、中国に居ようが、アメリカに居ようが、三カ国語は常に使ってきたわけだし、三者の関係性を把握し、常にアップデートしている。私の脳内では三カ国語の思考回路は明確に分かれているが、相互につながっている。

 私は、語学にはこだわっている。誰にも、特に自分には負けたくない。今回、約10年間過ごした中国を離れ、アメリカで一定期間生活してみようと思った理由のひとつに、己の語学力を根本から見つめ直してみたいという昔からの渇望があった。

 この三カ国語の思考回路や関係性、アップデートの取り組み方について、もうすこし詳しくお話ししたいと思う。

自分を相対化してみたい

 私の語学に対するこだわりが生まれたのは、小学生のころだったと思う。日々、父と弟とランニングに取り組むほかにやることといったら、一人きりになって世界地図を眺めながら、妄想を繰り広げることくらいだった。

「背が高い、個性が強い、他と違う」という、はたから見れば、ネガティブでも違法でもない理由でいじめられていた私は、単純に「外国の子供たちもそうやっていじめられるのかなあ? 例えばブラジルで、サッカーのドリブルがめちゃくちゃ上手かったり、リフティングが人の何倍もできたりするだけで、いじめられるのかなあ?」と異国の同年代の子どもたちのことに思いを巡らせていた。