68年ぶりに迎えた
終夜運転のない元日

 1937(昭和12)年元日には、東京圏のほぼすべての私鉄で終夜運転が行われるまでになったが、隆盛を極めた終夜運転は突如、終わりを迎える。

 1941(昭和16)年12月31日付の朝日新聞は「大晦日夜から元日朝にかけての初詣客に対し例年行ってきた省線電車(注・山手線などのこと)および成田山詣列車の終夜運転を今年は都合により中止することになった。なおこれと歩調を合わせて各会社線(注・私鉄のこと)地下鉄、市電もすべて同様終夜運転を中止する」と伝えている。

「都合により」とあるが、これは言うまでもなく、同年12月8日に太平洋戦争が勃発したことによる措置である。これより4日前、12月27日付の読売新聞では、限定的ながら終夜運転を実施する予定と伝えてられており、急転直下で取りやめになった事情がうかがえる。

 結局、終夜運転が復活することなく敗戦を迎え、その後も初詣どころではない時代が続いたが、1952(昭和27)年4月にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復すると、国鉄は同年の大みそかから元日にかけて、12年ぶりに終夜運転を実施したのである。この年は国鉄に加え、東武(東上線)、京成、小田急、京急が終夜運転を実施した(ちなみに京成だけは一足早く前年から終夜運転を開始している)。

 この結果、初詣客は大幅に増加したようで、1953(昭和28)年1月1日付の読売新聞は、明治神宮に「終夜運転の国電で駆けつける参拝者の群があとからあとから続いて元日午前一時までに昨年の六倍の五万人」が訪れたと伝えている。やはり終夜運転と初詣はセットなのだ。

 それから68年、私たちは久しぶりに終夜運転のない元日を迎えた。初詣にせよ、通勤にせよ、鉄道が生み出した私たちの生活スタイルは、新型コロナウイルスによって大きく変わろうとしている。一カ所に大勢の人が密集する初詣の在り方も転換期を迎えているのかもしれない。