後発参入ながら
市場を席巻できた理由

 もっとも、同社がここまでくる道のりは決して平坦ではなかったという。

「ポイの仕事は先代の頃から始めるようになりましたが、最初は全くもうけにならずクレームもしょっちゅうでした。前述したようにポイは紙の強度がネックですが、当時は何もわからなかったため普通の紙を使っており、『こんな紙じゃ全然使い物にならない』と言われたことも。何度も失敗を重ねて、3年目くらいでようやく安定的に供給できるようになりました。その後、ポイを納品していた大和郡山市の金魚店さんから、別の卸売業者さんを紹介してもらい東京に進出。そこから関東、全国へとうちの商品が広まっていきました」

 同社はいわば後発メーカーだった。当時のポイ市場はすでに海外の安価な商品や、国内メーカーの商品がシェアを占めていたが、いかにして全国に普及させていったのか。

「まず東京のお店でうちの商品を扱ってもらうためには、既存のポイよりも価格・品質・納期の全てで上回る必要がありました。特に、海外メーカーとは違い、国内生産であるうちのポイは絶対に在庫を切らすわけにはいかないということで、とにかく毎日大忙しで作りました。本当につらくて途中で手を引こうと諦めかけたこともありましたが、先代たちと一緒に情熱を注ぎました。その結果、着々とうちの商品の品質や在庫の豊富さが口コミで広まっていき、東京に進出して3~4年後に全国に普及。近年は海外の人も祭りの露店で金魚すくいをしたり、全国金魚すくい選手権大会に出場したりしてうちのポイを使ってくれているため、とても名誉に感じています」

 金魚すくいの文化は江戸時代から始まったとされている。それほどに古い歴史を持つ既存のマーケットの勢力図を、後発メーカーが塗り替えていったのだ。