「オレンジの悪魔」という異名をもつ京都橘高等学校吹奏楽部。日本テレビの『笑ってコラえて!吹奏楽の旅』や、福山雅治さんが全国高校野球選手権大会の第100回大会のために制作した『甲子園』のミュージック・ビデオに登場する“跳躍するマーチングバンド”として、「ああ、あの京都橘ですね」という方もいらっしゃるでしょう。全日本マーチングコンテストの常連校であり、2007年から3年連続全国大会出場を果たし、08年、09年、15年は金賞を受賞。NHK Eテレ スクールライブショー 吹奏楽バトルで優勝し、世界最大100万人の集客を誇るアメリカのローズパレードに日本で唯一、複数回の出場。こうした実績もさることながらユーチューブで知ったという声も多く、演奏しながら走り、飛び跳ね、踊る様子は、「これはスポーツだ!」「信じられない!」「見るたびに元気が出る!」と、国内外に熱狂的なファンを生み、人気の面では全国レベルの高校吹奏楽部の中で抜きんでた存在となっています。無数の動画の中には、1000万回を超えて再生されるものも多くあり、合わせれば総再生回数は軽く1億回を超えるほど。オレンジの悪魔を全国区の人気者にしたのは、なんといってもあの人気テレビ番組出演です。同校前顧問の田中宏幸先生の新刊『オレンジの悪魔は教えずに育てる』から、その全国デビューの舞台裏を紹介します。
日本全国に知られるきっかけとなったテレビ番組出演
京都橘の吹奏楽部を一躍有名にしたのは、なんといっても日本テレビのバラエティ番組『笑ってコラえて!』でしょう。
その前に出演した『よゐこ部』は関西ローカルの深夜番組でしたが、『笑ってコラえて!』は全国放送。その人気コーナーに「吹奏楽の旅」があり、すでに淀川工業高校、習志野高校、洛南高校などの座奏のコンクール上位校が出演を果たしていました。
担当ディレクターが直接電話をかけてきた「よゐこ部」とは異なり、「笑ってコラえて!」のファーストコンタクトはファックスで送られてきたアンケート。過去の実績、部の方針、特徴的な練習などを答えるというもので、これが“予選”のようです。
テレビに限らず、私はイベント出場要請についても、部長、副部長らの総務には意見を聞くようにしていました。このときも相談したところ、「先生、ぜひ、出たいです!」との答え。そこで私は念入りに、しかし脚色なしにアンケートを書き上げました。
「そろそろマーチングバンドの番やな……、うちの生徒らは、あのコーナーにぴったりとハマるはずや。これはチャンスや!」ほどなく採用の連絡があり、2011年の「吹奏楽の旅、マーチング編」収録が始まりました。
オレンジの悪魔たちがいつもどおり音楽室でミーティングをしているときに、いきなりテレビカメラとスタッフが入ってきて出演決定を告げる。一同は狂喜乱舞……。そんな絵が撮りたいという要望があったので、私は総務にくれぐれも頼みました。
「きみらは絶対、ほかの部員に漏らすなよ。驚かせて、自然なリアクションをさせるんや」
総務は弱弱指導でチームをコントロールすることに慣れていますから、「もちろんです」と胸を叩き、定期演奏会の“よゐこ乱入”とは違ってまったくのシークレットのまま、当日を迎えることができたのです。
ところが、想定外のことが起きました。オレンジの悪魔たちは本番での元気さや笑顔が知られているので、一般にはいつも賑やかだと思われているかもしれません。しかし、山のようにあるルールのおかげで、「驚いてもワーッと騒がない」という姿勢が徹底していました。
はたして撮影当日。日テレのスタッフがカメラを引き連れて突然、勢いよく音楽室に入ってきて、「京都橘のみなさん! 東京日本テレビの『1億人の質問“笑ってコラえて”吹奏楽の旅』です! これから1年間、みなさんに密着しますので、よろしくお願いします!」と叫んだところ、オレンジの悪魔たちの「ワーイ」は、実に盛り上がらないメゾピアノ……。控えめに喜びの声を出しただけで、澄ました顔のままスタッフを見つめ、ひたすらニコニコしているのみ……。
「日テレさん、いまのはどうや。これ、使えますか?」
彼らのプロデューサー役の私が恐縮しながら確認したところ、申し訳なさそうに「無理です。使えません」との答え。橘スマイルがNGになった最初で最後の例と言えるでしょう。仕方なく、私はめずらしく直接指導をしました。
「あんなぁ、きみらな、スタッフの方が入ってきたら、ごっつう喜べ!」
私の言葉に、「そんなことまで撮り直しせなあかんのか、ほんまに?」という表情をしつつも、そこはさまざまなイベントで鍛えられたオレンジの悪魔たち。
「京都橘のみなさん! これから密着させてください!」
「キャーッ!!!!」
高校生といえどもさすが表現者と言うべきか、放映されたのは部員たちの“名演技”。クラシック音楽の中でも、形に縛られない自由な曲をラプソディー(狂想曲)と言いますが、京都橘のテレビ騒ぎは「ラプソディー・イン・ブルー」ならぬ「ラプソディー・イン・オレンジ」でした。