苦手意識から理解できないものを
否定していないか自問する
考えてみれば、私自身は、昔のゲームへの苦手意識がトラウマとなって、その後の「ゲーム嫌い」につながっていたのかもしれません。そうとらえると、自分の嗜好が固まっていることを正当化し、理解できないものを否定するという、これまでの自らの態度について、「これは老害そのものではないか」と愕然としました。
普段、IT否定派の人たちには「アナログ派だから、リアルでないとダメだなどと言わずに、やってみなければ分かりませんよ」と意見してきた立場の私ですが、自分の態度に気づいてからは「私のSwitch嫌いと同じだったのかもしれない」「本人も忘れているようなトラウマや苦手意識があるのかもしれない」と思えるようになりました。
今でこそ「面白みが少しは分かった」と言っているあつ森も、私にとっては最初、全然面白くありませんでした。導入部から出てくるタヌキのキャラクターの声にはイラッとするし、何かを倒さなければならないという目的もない。しょせんは、できることが徐々に増えていくだけのゲームなのです。ですから最初は何をやったらいいか全く分からない「放置ゲーム」扱いでした。
ところが息子から「どこそこには、もう行った?」「○○はもうやった?」と聞かれ、次のアクションについてアドバイスを受けていくと「そういうことか!」「分かったぞ!」となるわけです。
私はこの経験をするまでは、YouTubeのゲーム配信についても「人のプレーを見て何が面白いんだろう」と疑問に思っていたのですが、ようやく意味が分かるようになりました。マリオカートの“ドリフト”のやり方だって、人のプレーを見なければ簡単に思い付けるものではありません。攻略本についても「本の通りに遊んで面白いのだろうか」と思っていましたが、その必要性も理解しました。自分でやってみたことではじめて、ゲームにまつわるさまざまなコンテンツ群がエコシステムとなっていることを知ることができました。
私も苦手意識から食わず嫌いで、初見で理解できないものを否定していたのではないか。そう考えて振り返ってみれば、「薄っぺらい」と揶揄していたビジネス書だって、立派な本なのかもしれない。洋書のビジネス書などは文字が中心なので「ビジネス書とはそういうもの」と思ってきましたが、日本と比べれば、欧米の人がビジュアルで解説する必要性を感じていなかったり、そのすべを持っていなかったりしただけなのかもしれない。全部を否定するのは間違いかもしれないなあと思うようになりました。
前回の記事「エバーノート創業者も予測『コロナ後、世界はハイブリッドになる』の真意」では、「IRL+(In Real Life Plus)」、すなわちリアルの体験を超えたより良い体験がオンライン型、非同期型とのハイブリッドにより実現するだろうという考えについて解説しました。
ハイブリッド化する世界で、オンラインの体験をリアルの体験に取り込むことになれば、ゲームでの体験のエッセンスはきっと応用されるでしょう。そうであれば、あらかじめゲームではどういう体験が得られるのかを知っておいた方が、新たな体験づくりには役立つはずです。