「優秀な人間ほど、その優秀さゆえに、老害化してしまう」。この歴史的事実をどう思いますか?世界史5000年の歴史から生まれた「15の成功法則」を記した『最強の成功哲学書 世界史』から見ていきましょう。

2つの「顔」を持つ男

フィリップ・ペタンという人物をご存知でしょうか。彼は第一次世界大戦において、ドイツの猛攻に屈しそうになったフランスをその魔の手から救った「救国の英雄」として、少なくともフランスでは知らぬ者とていない超有名人です。

 そして同時に、第二次世界大戦において、ドイツの侵寇を前にして、あっさり祖国をドイツに売り渡した「売国奴」としても有名です。

同じひとりの人物なのに、これほど正反対な顔をもつ人も珍しい。第一次大戦後、あれほど国民から喝采を受けた彼が、それから四半世紀後には死刑判決を受けるほど、国民から憎まれるようになってしまったのはなぜでしょうか。

くすぶっていた男が、
どんどん出世できた理由

 彼は、第一次世界大戦が勃発したころ、すでに58歳でした。退役寸前であったにもかかわらず、大佐どまりで、決して期待された軍人ではありませんでした。

 それは彼が無能だったからというわけではなく、ちょうど彼が軍人として脂の乗りきったころに大きな戦がなく、その才を発揮する場がなかったためです。フィリップ・ペタンは、その点、時代に恵まれず、ここまでくすぶっていました。

 しかし、ここで第一次世界大戦が勃発。当時のフランス参謀本部の「積極的攻撃論」がことごとく裏目に出、ドイツ軍は破竹の勢いでフランス北東部を次々と占領していきます。祖国はあっという間に存亡の機!

 このとき、「積極的攻撃論」にひとり異を唱えていたペタンに耳目が集まります。

「そういえば、あのペタンという男だけが「攻撃論」に反対していたっけな」

最初からあの男の作戦を採っていればこんな状態じゃなかったかも。こうして注目を浴びたペタンは、どんどん出世していき、またその期待に応えて戦果を挙げていきます。「陽」が当たるようになった途端、まさに“水を得た魚”。

兵法の「基本精神」とは?

 そんなとき、ドイツ軍によって包囲されていたヴェルダン要塞が陥落寸前になります。ヴェルダンといえば、フランスの都パリの“絶対防衛線”。ここが敵の手に陥ちてしまえば、あとはパリまでドイツ軍を防ぐものは何もありません。ドイツ軍は、何もなき野を往くが如く、パリに迫るでしょう。つまり、ヴェルダンの陥落は即ち、パリの陥落を意味し、そしてそれはフランスの滅亡を意味します。

 そんな状況化で、ペタンが参謀部からヴェルダン総司令官を拝命したとき、彼は自信満々に宣言しています。「決して敵は通しませぬ! ご安心あれ!」

 彼の採用した作戦は「縦深(じゅうしん)陣地戦術」。

 これは彼が編み出したオリジナル新戦法というわけではなく、「マラトンの戦い」や「カンネーの戦い」、はたまた「三帝会戦」などなど、古くから使い古された戦術とその根本に流れる精神は同じものです。

1、まず、わざと敵に弱点をさらし、敵にその弱点を攻撃させ、
2、防御地点を突破されても、あまり抵抗せず、むしろわざと兵を退かせる。
3、調子に乗った敵軍がさらに押してきても、敵軍の包囲態勢づくりに尽力する。
4、敵軍が気付いたときには前後左右からの包囲が完成しており、潰滅する。

どんなに時代が移り変わり、兵器が近代化し、戦術が変わったように見えても、兵法の基本精神は変わりなく通用するものです。ペタン将軍は、この戦法でついにドイツ軍の猛攻に耐えきり、これを撃退することに成功します。

栄光の落日

 その結果、ドイツ軍はまもなく降伏し、大戦はようやく幕を下ろしました。この八面六臂の活躍により、大戦勃発の時点では「大佐」だった彼は、戦後、陸軍最高位の「元帥」にまで昇り詰めます。

 国民からは「ヴェルダンの英雄」と讃えられ、どこへ行っても喝采を浴び、独身だった彼は、なんと64にして父娘ほど歳の離れた女性(42)と結婚。

 まさに“我が世の春”を謳歌します。もう歳も歳ですし、このまま満ち足りた豊かな老後生活の中で天寿を全うするかに思われました。

 しかし、ここから彼の転落が始まります。

「優秀であるがために、老害化する」。そのメカニズムとは?

 一線を退いたあとは隠居でもしていればこんなことにはならなかったのでしょうが、その後も「陸軍最高顧問」という肩書を得て、陸軍の方針に口を挟み続けたのが、のちに彼の人生を狂わせます。