AKB48は「応援してもらうための戦いの場」である。だからこそ、メンバーは形はどうあれ「媚び」によってファンを引きつけなければならない。ところが前田は媚びがなく、むしろ「応援してもらう戦い」から一歩退くような印象があった。

 当時、前田のことを長嶋茂雄になぞらえて「天才」と呼ぶ人がいた。おそらく努力せずにトップに君臨している印象からだろうが、前田はいったい天才だったのか。考えるに、おそらく「応援してもらう天才」と呼ぶべきなのだろう。

 飛び抜けたルックスでもなく、また媚びることもないのに、なぜか大勢のファンが熱狂する現象の説明ができない。だから、前田以外の者を応援していたファンたちの目に前田が「天才」に見えるのはごく自然なことだった。

 これはいったいどんな現象だったのか。応援されることを求めて中核メンバーが「媚び」を発揮する中で、平然と「地」を出し続けた前田に、目を奪われるファンが多かったということではないだろうか。そこに前田の計算があったかどうかはわからない。もし無自覚に多くのファンの応援を得ていたのなら、前田敦子はまさに「天才」だった。

秋元康が「高橋みなみ」を
AKB48の象徴にした理由

 前田と同様にAKB48の初期メンバーである高橋みなみのファースト写真集『たかみな』は2010年に出版されているが、その表紙に秋元康による印象的なコピーがつけられている。「AKB48とは、高橋みなみのことである」。

 高橋は2015年の総選挙で「努力は必ず報われる。私高橋みなみの人生をもって証明します」という名言を残した。努力家として知られており、全体を統括する総監督を務めているリーダーであった。

 秋元康が高橋みなみを称して「AKB48とは、高橋みなみのことである」と書いたのは、高橋が全身全霊で努力していたことを見てのことだろう。

 AKB48における応援される競争はファンを喜ばせる競争でもあり、そこで勝ち抜くには才能だけでなく、努力が必要である。しかも、高橋はAKB48全体がファンに支持されるようにまとめることにも努力したという点で、模範ともいえる人物だった。まさにAKB48とは高橋みなみのことだったのである。だから、高橋はAKB48のトップではなかったが、AKB48の代表であり続けた。