与謝野晶子の代表作『君死にたまふことなかれ』は、日露戦争を背景とした「反戦詩」ともいわれる。この詩は、後に太平洋戦争へとつながる当時の戦意高揚の風潮に「危うさ」を感じて書いた作品と見なされ、彼女は非国民と非難された。しかしながら当時、画期的だった「女性の自立」を訴えた彼女の意志は強い。そのような彼女が持つもうひとつの側面、情愛に揺れる気持ちを詠じたのが『みだれ髪』である。女性の性愛を表現することが考えられなかった時代に一石を投じた彼女はその時、何を思ったのだろうか。(ライター 正木伸城)
「自由恋愛」という概念が生まれて
間もない時代に歌われた性愛
与謝野晶子の『みだれ髪』は、後に夫となる歌人・与謝野鉄幹との恋愛をメインのテーマとして描いた歌集である。刊行は1901年。女性による歌集が単行本として刊行されたのは日本初とされる。
同書は、399首の歌が内容ごとに6章に分けられている。それを制作年代順に並べ直して解説した『新みだれ髪全釈』内で、著者の逸見久美氏は、「初期の歌はわかりやすいが後半期になって難解なものが多くなる」と指摘している。その理由を「これは恐らく鉄幹との恋愛が進行し、単純ではあり得なくなった晶子の内面を無理に詠んだためだ」と述べている。
与謝野晶子の歌は、情愛の複雑な変化を丁寧に捉えている。また、性を生々しくイメージさせる作品でもある。
当時はまだ、自分の家や一族のために、家長や親が当人たちの意向とはほぼ関係のないところで結婚が決まる「政略結婚」が当然のように行われていた。
「自由恋愛」という概念すら生まれて間もない頃だ。少しずつ広まりを見せていたものの、当時の男女は、恋愛における「私のこの気持ち」を容易に言葉にできなかった。恋のほつれ(みだれ)を言語化できなかった。そこに晶子は「言葉」を与えた。躍動感のある性愛を活写した。だからこそ晶子の歌は、解放感をもって人々に受け取られ、熱狂的に支持されたと思う。
『みだれ髪』は、文芸誌「明星」を創刊した夫・与謝野鉄幹の編集によって出版された。洋画家・藤島武二が装丁した表紙は、紅色を背景に、大きなハートを矢がつらぬき、矢じりから赤い線が流れ出て三輪の小花が咲いているという、ロマン的で色彩豊かなものだ。
『みだれ髪』の中の歌をいくつか紹介しよう。