小さな幸せこそ、人生を守ってくれる
ある大きな目標があるとしよう。簡単にできるものではなく、時間も掛かる目標だ。その目標を達成するまで、幸せになってはいけないのだろうか?
その間、ずっと苦痛とともに生きなければならないのだろうか? 大きな成果だけにとらわれる姿勢は、時に毒になることもある。多くの時間と犠牲を伴うからだ。
それでもし、夢が叶わなかったらどうするのだろう。日常の些細な幸せも何もかもをかなぐり捨てて走り続けてきた、その人の人生はどうなってしまうのだろうか。
大きなことにオールインするというのは、命綱なしで綱渡りするのと変わらない。だからこそ、「小確幸」が必要なのだ。
村上春樹のエッセイから広まった、小さいけれど確実な幸せ。略して「小確幸」。寝る前にかわいいネコの写真を眺めるとか、子どもを寝かしつけたあとに静かに読書をするといった、忙しい日常の中で感じられる「小さいけれども確実に実現可能な幸せ」のことだ。
日常の中の小さな幸せは、大きな目標に向かう長い旅路に耐えうる活力をくれるだけでなく、失敗したときの衝撃を和らげるエアバッグにもなってくれる。万が一、目標が達成できなかったとしても、自分の人生が終わりだという思いに縛られないようにしてくれる。
もちろん、小さくて確実な幸せだけを追い求めるべきだという話ではない。不確かで大きな目標が重要なのと同じくらい、日常の小さな楽しさも重要だという話だ。
これがダメならこれというような、二者択一の話でもない。両方追いながら生きることだって全然アリなのだから。
(本原稿は、ハ・ワン著、岡崎暢子訳『今日も言い訳しながら生きてます』の内容を抜粋・編集したものです)