麹町経済研究所のちょっと気の弱いヒラ研究員「末席(ませき)」が、上司や所長に叱咤激励されながらも、経済の現状や経済学について解き明かしていく連載小説。経済学と経営学の違いに迫るシリーズpart2の今回は、経済学の興りを訪ね300年前にまで遡ります。(佐々木一寿)
さきほどから、主任の嶋野の携帯電話は鳴りっぱなしである。それもそのはずで、仕事をそっちのけで甥のケンジのそばにつきっきりだからだ。その中には、明らかに重要人物からと分かるものもあったが、嶋野はすべて「エマージェンシー」「コンティンジェンシー」といって後回しにしていた。甥の満足がなによりも優先であることが見て取れる。
末席にとっては、嶋野の行動は予想の範疇ではあったが、それよりも着信のメロディがかなりヘビーなロック調であったことは想定外だった。付き合いが長くてなんでも知っているようでいても、意外な新発見はいつだってあるものなんだ*1、そう末席は気を引き締めた。ケンジのほうにも言い知れぬ漠とした違和感があるようだが、いまはそれどころではない様子だ。
*1 日本の「灯台下暗し」という趣旨のことわざは世界各地にもある
「じゃあ、ケンジくん、経済学って、どんな出来事がきっかけで始まったと思う?」
うーんと唸るようにケンジは考え込んだ。
「なんかヒントはないんですか…」
「ではヒントを。経済学は、ざっくり300年ぐらい前から始まりました」*2
*2 cf.『経済学をめぐる巨匠たち』(小室直樹著、2004年)
ケンジの顔から察するに、それがなんのヒントにもなっていないのは明らかだ。
「うーん。どうすれば金貨が貯まるようになるとかですかね…」
さすが我が甥、いいセンを行っているな、と嶋野はご満悦だ。
末席は続ける。
「そうですね、それはとても重要なことです。金貨はなぜ貯まるのか。これを言い換えると、富はなぜ増えるのか、ということですね」
ケンジはとりあえず安堵の表情を表しながらも、自身の答えに少し疑問も持ったらしく、続けて末席に問うことにした。
「そんなこと。増えることもあれば減ることもありますよね、あまりにも常識的すぎて、学問になりうるんですか?」