「透析は医師の敗北」
腎臓内科を変えたいと思った

 菅沼院長は長野県飯田市の菅沼病院の長男として生まれ、幼いころから「三代目」と呼ばれて育った。「周囲の期待に応え、医師になって病院を継ぐ以外の選択肢を考えたことはなかった」という。内科のなかでもマイナーな腎内科を選んだのも第一に、実家の発展を考慮してのことだった。

「大学の講義で、日本の透析医療は世界一と聞き、『この分野で日本のトップを目指せば、世界一になれるのでは』とワクワクしたのがきっかけです。内科のなかでも、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科などはメジャーで、腎内科はマイナーな科に入ります。僕の父親は消化器内科医でした。飯田市は人口10万人ぐらいの田舎ですから、マイナーな診療科でその道を究めれば、需要は高いに違いないと思いました」

 人工臓器にも興味があり、特に先進性を感じていた人工腎臓に強く惹かれていた。臨床から研究まで、腎臓医療を究めることをめざしたが、母校である旭川医科大学病院には腎臓内科はあっても透析室はなかった。

「最先端を学ぶなら東京だと考え、いくつかの大学病院に見学に行きましたが、透析をやっていて、かつ腎臓に特化したセンターがあるのは東京女子医大ぐらいでした。しかも、見学先で腎臓内科の先生と話すと、透析は印象が悪いんですよね。『患者さんが透析になるということは、われわれにとっては敗北だ』と。要するに、腎臓が悪くならないようにするのが腎臓内科医の仕事であって、透析になってしまったら負けなんだと…。

 僕は違うと思います。もちろん、透析になるのを遅らせる、あるいはならないようにするのは大切です。でも、透析は敗北じゃない。透析治療をしている患者さんは日本全国で34万人以上もおり、年々増えています。うちには49年も透析を続けている患者さんもおり、そのような人たちを見捨てるわけにはいきません。透析患者さんが健常者並みに元気で、長生きできるようにすることに、僕は人生をかけています」

「教科書通りにやった人は
皆死んじゃった」長命患者の名言

「大学病院には研究、臨床と教育という3つの機能がありますが、自分が何に興味があるかを考えたら、やはり臨床でした。自分のこれまでのキャリアを生かし、世界最高水準の腎臓病及び透析医療を提供できるよう頑張ろうと思い、独立開業を決めました」

 当初は飯田市に戻ることを検討したが、調べてみるとなんと、地域に大きな透析施設が4施設もあることが判明。諦めて、次に検討した世田谷区烏山地区では透析施設が一つもなく、診療圏調査でも非常に良好な数字が出たことから現在の場所での開業を決めた。ちなみに、実家の菅沼病院は弟が消化器内科医になり、立派に継いでくれている。