『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が10万部を突破! 本書には東京大学教授の柳川範之氏が「著者の知識が圧倒的」、独立研究者の山口周氏も「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せ、ビジネスマンから大学生まで多くの人がSNSで勉強法を公開するなど、話題になっています。
この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
フリーライダーという用語は最悪の場合、ある意見に対してどんな反論も許さない用語として用いられてしまうのではないのか
こんにちは、大学生の者です。『独学大全』とても楽しく読ませていただいております。最近、読書猿さんの記事等で多く見かける「フリーライダー」という用語に対して興味が湧くとともに、自分は間接的に本当に多くの人に助けてもらっているんだということを実感しました。しかし、自分の中で新たなモヤモヤが湧いてきてしまいました。
それは、「フリーライダーという用語は最悪の場合、ある意見に対してどんな反論も許さない用語として用いられてしまうのではないのか」というものです。あらゆる人や物事、そして知識等が間接的に自分の思考の土台になっている現代社会では、結局はそれらに対してフリーライドしているわけで、それを考えていては、自分が間違っていると思うことや、非合理的な事柄に対して反論できなくなってしまうのでは……と考えるようになってしまいました。もちろん、そんなはずはないとは思うのですが、落とし所というか、立ち位置というか……。読書猿さんのご意見をお聞かせください。
先人に返せない代わりに、未来へ受け渡す
[読書猿の回答]
私は逆のことを考えます。我々は伝統を受け取るからこそ、それらを批判することができ、また批判の可能性が開かれているからこそ、伝統が過去に持っていた意味/未来に持つだろう意義を我が事として理解できるのだと。
たとえば、私達が何かを考え、その上で批判するときにも用いる言葉、概念、単語一つとっても、すべて無数の先人が作り使ってきた知的遺産です。私達はその多くを受け取ることなしには、まともに話すことも考えることもできません。しかも私達は、学習コスト以外にはほとんど何の費用負担もせず、先人に使用料を払うこともなく、それらを使い倒しています。
しかし私達は先人たちが敷いたレールの上を逸れることなく進んでいる訳ではありません。彼らの考えや意見を吟味し、別の考えをぶつけ、時には厳しく非難することもできます。それも、彼らがもたらした概念や言葉を使うことによって、です。
こうして彼らの考えに、彼らが気づかなかった/考えもしなかった何かを付け加えることを通じて、私達もまた、それまで気づかなかった彼らの考えが持つ可能性や意義を発見するのです。
先人が積み重ねてきた言葉とその歴史を検討するとき、私たちは、長く正典(カノン)かそれに近い扱いをされてきた作品の多くが、当の時代に抗する叛乱者によって書かれたことを知ります。彼らもまた、そのさらに先人たちから言葉を受け取り、吟味し、別の考えをぶつけ、厳しく非難してきたのです。
そしてまた、私達は彼ら先人に何かを返すことはもはや叶いませんが、彼らが私達に残してくれたように、これからやって来るだろう、私達の言葉を読みそして書く人たちに向けて何かを残すことならできるかもしれません。
知や言葉は、贈与者に直接返礼する限定された交換の中に封じられるのではなく、贈与された我々が次の/別の人へ贈与する一般交換によって継承されることで、未来に開かれています。その意味では、知や言葉についてのフリーライダーとは、自分が先人から受け継いだものを認めず隠し立てし、他の人たちには受け渡さず独り占めしようとする者に対して使う言葉だと思います。