この曲では、中森明菜自身が考えた衣装は着物をアレンジし、髪型はボブ、足にはハイヒールという表現しがたい奇抜な衣装で(今なら「和モダン」と呼ばれただろう)、長いハイトーンで歌い上げた。一つの何かにとどまることを拒否しながら、かっこよさが印象に残るという不思議な曲で、『ミ・アモーレ』に続いて日本レコード大賞を受賞し、中森明菜は日本を代表するプロ歌手へと脱皮した。

 ちなみに、日本の音楽界に洗練された形で「中東」を持ちこんだのは、久保田早紀の『異邦人』(1979年)だろう。『異邦人』が破格な売り上げを見せながら、「中東」のマーケットを広げることなく沈んでいったが、久保田という才能がまいた種子は、時を置いて、中森明菜という天才的表現者によって再び開花したのである。

 中森明菜の強みに、幼い頃からモダンバレエを習って表現力のあるダンスができることがあった。「中東」を歌うとき、彼女はそれを体でも表現することができた。

 久保田がまいた中東という種は、『異邦人』のメガヒット以降は表現の壁にぶつかるが、中森明菜は歌で演じることで壁を乗り越えてしまう。砂漠の真ん中で「サハラの夕日をあなたに見せたい」とつぶやいたり、国籍のない虚構性の世界を自由に行き来できる特権を持ち、久保田の抽象的だった中東のイメージを、映像的にリアルに描いた。このときの中森明菜は歌で演じる女優だったと言っていいだろう。

中森明菜の内面を表現した
『LIAR』と『難破船』

「ボカロ世代」に伝えたい、今こそ中森明菜を聞くべき理由『難破船』

 無国籍路線を進む中で、中森明菜は一度だけ日本回帰したことがある。それが加藤登紀子の曲をカバーした『難破船』(1987年9月)である。これは、中森明菜が「歌いたい」と思って選んだ曲であり、与えられた世界を自分のものにしてプロ歌手として演じ続けていた中で、数少ない自己表現の曲だった。

『難破船』はのちに日本中に衝撃を与えるある男性歌手との別離と自殺未遂を先取りした内容に思える。もしかしたら、すでに障害にぶち当たっていて、彼女は自分の芸能人としての人生を成就させるはずだった「結婚」がダメになるという不安を抱え込んでいたのかもしれない。