チューインガム、チョコレートに続き、キャンディ、アイスクリーム、ビスケットへの参入を立て続けに成功させたことにより日本で総合菓子メーカーとなったロッテ。その余勢を駆って重光武雄は、日本で先行した事業を韓国にいち早く導入して成功させる“タイムマシン経営”と、グループの投資の9割を韓国に注ぎ込む経営資源の集中によって韓国のロッテグループを、日本のロッテの総合菓子メーカーという姿を凌ぐ総合食品メーカーへと育て上げた。2度にわたる韓国政府の裏切りで“本業”に注力したロッテは、業容拡大にともなって、コングロマリット化への道をひた走ることになる。(ダイヤモンド社出版編集部 ロッテ取材チーム)

“タイムマシーン経営”により韓国で大攻勢へ

青瓦台で無窮花章を授与された(1978年)

 「いままで私は故国の皆さんから『なぜ韓国では日本と同じ菓子を作らないのか』という忠告を受けて、いつも辛く思いました。しかし、それは国内事情による原料、機械設備などの厳しい環境と技術的なさまざまな問題で、その願いを叶えることができなかったのです」(*1)

 1972(昭和47)年1月、韓国の「ロッテ製菓」は「ジューシィフレッシュ」「フレッシュミント」「スペアミント」を発売した。このときに出した新聞広告で重光武雄は、それまで立ち遅れていた韓国内でのガムの生産態勢が整い、韓国のはるか先を進んでいた日本市場のヒット製品と同じものが国産で投入されることを高らかに謳っていた。見ようによっては、韓国人の日本コンプレックスと、それとは裏腹の日本への敵対心、そして日本と同等品の国産化達成という優越感を煽る巧妙な広告ともいえる。「大型ガム」を標榜した3製品の発売を告げる広告の文言はこう続いていた。

「幸いにも今回、最新の設備を誇る永登浦(ヨンドゥンポ)ガム工場を新築するようになり、韓国ロッテでも日本ロッテと同じレベルの製品を生産するようになりました。世界の優秀な技術を集めて作った製品『ロッテ大型ガム』を皆さんに出すことを光栄に思い、またこの『ロッテ大型ガム』に匹敵できるガムはないと確信しています」

 韓国のロッテ製菓は重光が67(昭和42)年4月に設立したものだ。それからわずか5年で最新鋭の主力工場を立ち上げ、日本の最新製品を韓国においても国産で投入できるまでになったのである。

 このロッテの急成長の原動力となったのは、のちに“タイムマシーン経営”(*2)と呼ばれた、日韓の経済発展のギャップを背景に、日本で先行した成功事例をいち早く韓国に導入して成功させるビジネスモデルである。韓国での5つ星高級ホテルや日本式デパート、コンビニの展開がその代表例だが、ガム事業がその嚆矢になったといえるだろう。例えばロッテ製菓を設立したのと同じ年にはいきなり、バーブミント、クールミント、ジューシィミント、ペパーミント、オレンジボールガム、フーセンガムという、日本での主力ヒット製品を一斉に発売し、さらに翌年にはガム日本一の原動力となった「1000万円懸賞」の韓国版も展開し、韓国の消費者を驚かせた。先の大型ガムの3商品同時発売もその一環といえる(『ロッテを創った男 重光武雄論』より)。

 先の72(昭和47)年の大型ガム投入に続いて、ロッテ製菓は75(昭和50)年にはチョコレート工場を建設して、「ガーナチョコ」を投入し、77(昭和52)年にはアイスクリームに参入する。日本に続いて、韓国でも総合菓子メーカーの座へ駆け上がっていったのである。歴史を振り返れば、日本のロッテがチョコレートに参入したのが65(昭和40)年だから韓国では10年後、同じくアイス参入は72(昭和47)年で韓国は5年後だから、タイムマシーンの“時差”はどんどん縮まっていった。日本での成功事例は即座に韓国に持って行くという新たな勝利の方程式ができあがっていったというわけである。

*1 『東亜日報』1972年2月10日付
*2 海外で成功したビジネスモデルやサービスをいち早く日本で展開し、先行者利益を得る経営手法を、ソフトバンク創業者の孫正義氏が「タイムマシーン経営」と命名したとされる。