妻の浮気が原因で離婚。突如、5歳の息子との父子家庭になった。手元に残された全財産は90万円。定時退社で保育園へ息子を迎えに行く毎日で、残業代ゼロ。年収400万円で、カツカツの生活だった。ギリギリの節約生活で、4年で1000万円を貯め、本格的に株式投資を開始。紆余曲折を経ながらも某企業の大株主になり、資産2億円以上を築いた。いまや成長し、就職した息子とふたりで焼鳥屋に行ったとき、これまでの半生を振り返り、「投資家」と「労働者」の話をした。
「サラリーだけで生きられる時代は終わった」
「億の資産をつくるにはお金に働いてもらうことだ」
「リスクをとらないと得られるものはないぞ」
離婚して父子家庭になり、全財産90万円から資産2億円以上を築いた父親が、投資術を初公開。いま息子へお金と投資の話を教える『どん底サラリーマンが株式投資で2億円』。
結婚6年で
妻の浮気が発覚
【前回】からの続き。
この頃は、土日も出勤するような忙しい日々を送っていたのだが、勤務先には「営業は残業をつけない」という“暗黙の了解”があった。
1日1500円の営業手当てで昼食を食べて、「まぁ、みんな同じ扱いなんだし、こんなもんだろ」とたいして気にしていなかった。
最初の結婚は、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が立て続けに起こった1995年、28歳のときだった。
結婚と同じくらいの時期に、営業部門からIT部門へと異動した。
いまになって振り返ってみると、IT部門への異動は人生にとっても投資活動にとっても大きな節目となった。
異動しても給料は、ほとんど変わらなかった。
独身ならまだしも、夫婦2人暮らしの片働きで手取り20万円は厳しい。
しかも、結婚してすぐに長男が生まれたので、3人暮らしになった。
当時の妻には「働いて家計を助けてくれないか」と頼んでみたものの、「あなたは株をやっている余裕があるんだから、私まで働く必要はないでしょ」と言われた。
いつか『会社四季報』の株主欄に載りたいという野望はあったものの、この頃の株式投資はパチンコのようなもの。
勝つときもあれば、負けるときもあり、趣味の延長線上のようなものだった。
いい顔がしたいので、運良く勝ったときは「儲かったぞ、これで旅行でも行くか」と妻を喜ばせるようなことを言うものの、負けたときは何も言わない。
だから、当時の妻は株で、けっこう儲けていると思い込んでいた。
ところが、実際は勝ったり負けたりのくり返し。
ボーナスを全額投入し続けていたのに、株式資産は100万円を行ったりきたりする程度に留まっていた。
企業のIT化が急がれた時期でもあったので、IT部門は営業職以上に多忙を極めた。
朝から深夜まで会社でパソコンに張りつき、週末も出社することが多かった。
毎日帰りが遅い夫に夕飯をつくる必要もなく、暇でつまらなくなったのか、妻は夜の店でアルバイトを始めた。
「これで家計が少しはラクになる」と思ったものの、それはぬか喜びに終わった。
妻は「あなたの稼ぎは家族のもの。私が稼いだお金は私のものよ」と主張した。
二の句が継げなかったのだが、そういう女性と結婚した自分のせいだと自らを納得させた。
そして、この夜のバイトが、人生を大きく揺るがすことになる。
2001年のある夜、久しぶりに早く仕事が終わり、うちに帰ってみると、妻はすでにアルバイトに出かけて不在だった。
幼い息子のかわいい寝顔を見てから、リビングのテーブルの引き出しを何気なく開けてみると、そこには妻宛ての手紙が何十通も入っていた。
「なんだろう?」と思い、開封済みの1通を読んで驚いた。妻は夜の店の常連客と浮気をしており、その浮気相手からの熱烈なラブレターだったのだ。
いまなら愛の告白はメールかLINEだろうけれど、当時はラブレターを書くという昭和な文化がまだ残っていた。
もう20年も前の出来事なので、平常心で思い返すこともできるけれど、あの夜は失神するかと思うほど大きなショックを受けた。
とても冷静でいられる精神状態ではなかった。