妻の浮気が原因で離婚。突如、5歳の息子との父子家庭になった。手元に残された全財産は90万円。定時退社で保育園へ息子を迎えに行く毎日で、残業代ゼロ。年収400万円で、カツカツの生活だった。ギリギリの節約生活で、5年で1000万円を貯め、本格的に株式投資を開始。紆余曲折を経ながらも某企業の大株主になり、資産2億円以上を築いた。いまや成長し、就職した息子とふたりで焼鳥屋に行ったとき、これまでの半生を振り返り、「投資家」と「労働者」の話をした。
「サラリーだけで生きられる時代は終わった」
「億の資産をつくるにはお金に働いてもらうことだ」
「リスクをとらないと得られるものはないぞ」
離婚して父子家庭になり、全財産90万円から資産2億円以上を築いた父親が、投資術を初公開。いま息子へお金と投資の話を教える『どん底サラリーマンが株式投資で2億円』

Photo: Adobe Stock

投資はどんな学歴でも平等

【前回】からの続き。

三流大学を出て社会人になったのは1990年、日本経済がちょうどバブルの絶頂期を迎えた頃だった。

日本的経営を讃えた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉が流行り、東都の山手線内の土地価格で米国全土が買えるほど地価が高騰して、日本の銀行は世界最強と言われていた時代だ。

就職先として選んだのは、地方の老舗食品メーカーだった。

就活戦線は完全な売り手市場で、三流大学出身でも、その気になればバブル景気に沸いていた銀行や不動産デベロッパーあたりに就職できたかもしれない。

自分が大学の農学部で研究していたのは菌類(キノコ)。

知らない業界に行くより、ある程度は馴染みのある業界のほうがいいと思って食品メーカーを選んだ。

その頃は、終身雇用で同じ会社で地道に働きたいと思っていたので、派手さはなくても浮き沈みが少なそうな食品メーカーが自分にはピッタリだと思った。

入社1年目、株式投資を始めた。

農学部出身で社会や経済に詳しいほうではなかったので、「株を売り買いしていれば、多少は社会勉強になるだろう」と思ってのことだった。

もとより当時はバブル時代、株式投資が大ブームで、単に世間の流行に乗ってみた面もある。

この時点では、50代で早期リタイアしたいとか、将来の資産形成に役立てたいといった思いはまったくなかった。

初めて買った銘柄は、勤務先と似通った食品メーカーの「キッコーマン」だった。

スマホで取引できるいまとは違い、当時はネット取引がなかったので、証券会社の店頭で株式投資の手続きをした。

いまは100株から買えるが、当時は1000株からでないと株式を買えなかったので、母にもらった軍資金のほとんどを投じる全力投資となった。