日本史#4
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大型連休中にじっくり読みたいおすすめ記事をダイヤモンド編集部がセレクト。本日は20年12月31日に配信されたこちらの記事をお届けします。

日常でもビジネスでも何が起こるか分からない時代。こうした時代を乗り越える唯一の手段が「歴史」だ。時代も登場人物も違えば、まったく同じ歴史をたどることはない。しかし、似たことはこれまで何度も起こっているのである。「想定外」という言葉は、歴史の不勉強による想像力の欠如から発せられる。それならば歴史に学ばない手はない。本稿では、会話形式で歴史を学ぶ。日本は中世を迎える。覇権を争うアジアとヨーロッパの列強が、日本に大きな影響を及ぼす――。

「週刊ダイヤモンド」2020年2月25日号の第1特集を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの
登場人物

日本初の武士政権、鎌倉幕府の始動

本の虫課長 前回お話した通り、源頼朝は壇ノ浦の戦いで平氏を撃破しました。そして本拠地である鎌倉で新政権の準備に取り掛かります。例えば、後白河法皇に迫って1185年には「守護」と「地頭」を設置する権利を獲得。戦における武家への勲功・報奨を与える権利や、処罰する権利も朝廷に認めさせます。

渡辺フミオ 後白河さんは何でそんなに気前がいいのですか? 後で絶対にもめるに決まってる。

本の虫課長 平氏への警戒心ですね。生前の平清盛の力があまりに強大だったので。平氏が勢いを盛り返さないよう、源氏に味方するしかなかったのです。こうして頼朝は、従来は朝廷が持っていた権利を次々と切り離して政治を掌握。これまで関東中心だった頼朝の権威は全国に及ぶこととなりました。「鎌倉幕府」の始動です。日本に初めての本格的な武士政権が生まれたのです。実権は得ましたが、何かしらの肩書も欲しい。「大将軍」的な称号をくれ! と朝廷に依頼します。朝廷は頼朝に「征夷大将軍」という称号を与えました。

渡辺フミオ 確か、平安時代に蝦夷征討で名をはせた坂上田村麻呂と同じ称号なんですよね?

本の虫課長 そうです。頼朝は、東北で栄華を極めていた奥州藤原氏も滅ぼしたので。これによって、名実共にそろった、京都の朝廷と並び立つ巨大な権力が関東に誕生したのです。このような武士政権というのは、日本の歴史の大きな特徴といえます。

泉岡マリ 確かに「兵」ではない「侍」のような階級って、東アジアでは聞いたことがないな。中世ヨーロッパの騎士階級みたいですね。

本の虫課長 フミオさんが予想した通り、頼朝の死後、やはり朝廷と鎌倉幕府はもめます。1221年、後鳥羽上皇が朝廷の権力を取り戻そうと、兵を挙げました。「承久の乱」です。結果は幕府側の勝利です。鎌倉幕府の権力は朝廷さえ凌駕し、最盛期を迎えます。このとき、明治維新まで武士が日本を実質的に支配する土台が築かれました。その後、源氏の将軍は3代で途絶え、有力御家人の北条氏が執権という立場で幕府の中枢を担うようになります。

 その頃中国では、南部の王朝「南宋」と、北部の征服王朝(漢民族以外の王朝)である「金」が対峙していました。金のさらに北の草原地帯に、テムジンさんという遊牧民がいました。テムジンさんは次々と周辺の部族を統一していき、「チンギス・ハン」と名乗って「モンゴル帝国」を建国します。1206年のことです。

泉岡マリ 1206年……。確か、ヨーロッパの対イスラム遠征軍「十字軍」がコンスタンティノープル(東ローマ帝国の首都。現在のイスタンブール)を占領したのが1204年でしたよね。ほぼ同じ時代なんですね。

本の虫課長 そうですね。十字軍の出港地となったヴェネツィアやジェノヴァの商人はその遠征で暗躍し、大きな富を手にするようになりました。後述するマルコ・ポーロはヴェネツィア出身の商人ですし、コロンブスはジェノヴァ出身といわれています。モンゴル帝国に話を戻しましょう。2代目のオゴタイ・ハンは長城を越え、1234年についに金を滅ぼします。モンゴル軍の勢いは増し、今度はヨーロッパへ遠征。まずはロシアを服従させます。

 ロシアの歴史では、このモンゴル支配下の状況を「タタールのくびき」と呼びます。さらに1241年、ポーランド・ドイツ連合軍と激突。「ワールシュタットの戦い」が始まります。結果はモンゴル側の大勝です。

泉岡マリ 破竹の勢いですね。モンゴル軍はなぜそんなに強かったのでしょうか。