『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』20万部を突破! 本書には東京大学教授の柳川範之氏「著者の知識が圧倒的」独立研究者の山口周氏「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せ、ビジネスマンから大学生まで多くの人がSNSで勉強法を公開するなど、話題になっています。
この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

有名作家も断言「小説を読んで登場人物と一体になったような気持ちになる」のが最悪である理由Photo: Adobe Stock

[質問]
 小説を読むと自分のネガティブな体験が思い出してしまう

 こんにちは。質問させてください。

 小説などを読んでいる時に、内容を自分の体験に繋げてしまい、辛くなったり悲しくなったり憤りをもったりして気持ちの整理がつかなくなることがあります。それも主にネガティブな感情です。

 例えば小説の中で、「AさんはBさんから悪口を言われた」というような記載があると、自分が過去に同じような目にあったことを思い出してしまいます。このようなことが頻繁に起きてしまいます。

 本の世界と自分の世界をリンクさせすぎているのかと思いますが、どうしても別個のこととして扱うのが難しいのです。

 どのようにすれば、自己の体験と結びつけすぎずに読むことができるでしょうか。また、何か良い思考の切り換え方などがあれば、教えていただけないでしょうか。どうぞよろしくお願いします。

選ぶ作品も、読み方も変えた方が良いでしょう

[読書猿の回答]
 1つ目の対策は小説を、それでも足りないなら、本を読むのをやめることです。しかしこれでは本末転倒です。

 2つ目の対策はちゃんとした小説を丁寧に読むことです。こちらについて説明しましょう。

 まず、大前提ですが小説とは何か。

 小説とは、文章を通して物語を伝えるものです。小説の文章は、大きく3つに分けられます。《場面》、《説明》、《描写》です。

 《説明》は、物語を大づかみに述べる文章です。細かいところを省略して伝えるので《要約》と呼ばれることもあります。

 大づかみなので、少しの文章で、長い時間の物語を伝えることができます。わずか数行で何年、ときにも何百年もの時間を進めたりできます。物語をどんどん進めたいときに《説明》は便利です。

 《描写》は逆に、物語の特定の部分を詳しく伝える文章です。詳しく伝えるために、たくさんの文章を使いますが、その間物語はまったく(ほとんど)進みません。《描写》している間、物語はスローモーションかストップモーションになります。

 《場面》は、物語が今まさに起こっているように伝える文章です。大抵は、登場人物の会話を主にして、それに人物のアクションを伝えるシンプルな言葉が加わって構成されます。会話が主になるので、文章の進行と物語の進行はシンクロします。物語を大またにドンドン進める《説明》と、物語をほとんど進めない《描写》の、ちょうど中間の役目を《場面》はします。

 本題に入りますが、「ちゃんとした小説」とは、物語がその上に成立する最大の謎(なぜwhy)に対して作品内のどのようであるか(how)で応じた作品のこと。言い換えれば偽りごと(フィクション)を生み出し世界をかき乱す罪を《描写》によって贖おうとする小説です。

 ちゃんとした小説で、たとえば「雨が降っている」と書くだけで済まさず、わざわざ《どのような雨なのか》が描写されるのは、少なくともその目的の一部は、《この雨はあなたが知っている雨ではない》と釘を差し、読者が持っている「雨」のイメージを使い回すことを許さないためです。

 こうした小説を丁寧に読むこととは、そうして描写される雨を、そして小説に描かれる他の何事も、唯一無比のものとして、描かれるそのものとして、読むことです。

 最後に参考文献として『ナボコフの文学講義』から、想像力の下りを引用します。

「しかし、読者の場合、想像力といっても少なくとも二種類ある。では本を読む際、この二つの想像力のうち、どちらを使ったら正しいのか見てみよう。まず比較的に低次の種類の想像力がある、これは単純な情緒に援けを借りるもので、決定的に個人的性格のものだ。つまりわれわれ自身の身の上、ないしはわれわれが知っている、あるいは知っていた人の身に起ったことを思い出させてくれるからというので、小説のある場面にいたく感激するといったていのことだ。さらに、読者が自分の過去の一部として、郷愁を込めて思い出す国なり、風景なり、生活様式なりを喚び起してくれるというので、ある小説を大切に思うというのも、そうである。あるいは、これが読者がなしうる最悪のことだが、作品中のある人物と一体になったような気持ちになること。このような低い想像力は、わたしが読者につかってもらいたくないものである」
(『ナボコフの文学講義』「良き読者と良き作家」)

 「作品中のある人物と一体になったような気持ちになること」がなぜ「最悪」かといえば、作者が唯一無二のものとして描いた人物をかすめ取り、あなたの知るものではない世界への誘いを無視することになるからです。