SNSに代表される現代の人間関係において、「共感がかつてないほどに重要なキーワードとなっている」と言われて異論がある人は少ないだろう。しかし共感は主観的なものであり、非常に捉えづらいものである(もちろん「いいね!」の数で測れるものでもない)。スタンフォード大学の共感研究における新進気鋭の心理学者として知られるジャミール・ザキは、「共感力は生まれたときから固定の才能ではなく、意識的に伸ばすことのできるスキル」と位置づけ、画期的な研究成果をあげている。今回、ザキが専門書ではなく、一般の読者にも広く共感について知見を深めてもらうための本としてまとめたのが『スタンフォード大学の共感の授業――人生を変える「思いやる力」の研究』だ。同書には、アンジェラ・ダックワース(『やり抜く力』)アダム・グラント(『Give & Take』)、キャロル・ドウェック(『マインドセット』)をはじめとするビッグネームからの賛辞が寄せられ、あいまいな共感をめぐる議論に一石を投じる本として世界中から絶賛の声が寄せられている。注目のこの本から、もっとも重要な指摘のひとつである「3種類の共感」とその取扱い方について紹介する。

3つの共感Photo: Adobe Stock

3つの共感を区別することからはじめよう

 大半の人は、「共感」の意味を知っていると思っている。ところが実際に「共感」という言葉を使うとき、その意味するところはしばしば異なっている。

 心理学者は共感の定義について何十年も前から議論してきた(ときには白熱した議論になる)。細部では揉めていても、大局としては、ほぼすべての研究者の意見は一致している。なかでもはっきりしているのは、共感というのはひとつのものではないという点だ。共感とは、気持ちを共有すること、人の気持ちについて考えること、配慮することなど、人が人に対して示すさまざまな反応を包括的に指す言葉なのだ。内訳のそれぞれに名称もある。

 ひとつずつ確認してみよう。

 まず、あなたが今、大学の最上級学年だと想像してみてほしい。親しい友人と一緒に、彼のアパートへ歩いて向かうところだ。アパートの郵便受けをチェックした親友が、呆然と立ち尽くす。「来た」。何のことだか、あなたにはすぐわかる。親友が医学部進学を目指し、しかも特定のコースをどうしても学びたくて、過去3年間どれほどがんばってきたか、あなたもよく知っているからだ。親友は願書を出したあと、これまでに30回くらい、あなたにその話を語っていた─ときには不安そうに、ときには希望に満ちて、そうかと思うと不安と希望を一緒くたにしながら。

 親友は急いで階段を駆け上がり、部屋に入って封筒を開く。親友の顔がゆがむ。喜んでいるのか動揺しているのかわからず、あなたは身を乗り出して顔を覗き込む。すると親友の涙は、明らかに、幸せの涙ではなかった。

●共有する――体験共有
 親友ががくっと膝をつく。あなたもおそらく苦しい表情になり、肩を落とし、涙も出てくる。気分はどん底だ。

 共感の研究者は、これを「体験共有」と呼ぶ。他人に見た感情を自分の体験として受け止めている。体験共有の幅は広い。相手の表情、身体に感じているストレス、気分などを、ネガティブなものもポジティブなものも「キャッチ」する。脳は、他人の苦痛や快楽に対し、自分自身がそれを体験しているものとして反応する。

 体験共有をするときは、自他の境界線が消滅する状態に最大限に近づいている。一番深く踏み込んだ共感だ。これは進化の面ではかなり古い現象で、サル、ネズミ、ガチョウにすらも見られる。生まれてすぐに芽生えるので、乳児は別の子が泣く声につられるし、母親の不安を感じとって泣き出す。この共有は光の速さで起こる。友人が顔をしかめるのを見ると、コンマ秒の速度で、あなたもその表情を模倣する。すると、脳の中で苦痛をつかさどる部分が、即座に反応する。

 体験共有は共感の科学の基礎でもある。「共感(empathy)」という言葉が誕生する前から、たとえば18世紀の経済学者で哲学者でもあったアダム・スミスが、「同感(sympathy)」や「同胞感情(fellow feeling)」という言葉を、体験共有にかなり近い意味で使っていた。スミスはこう書いている。「想像の中で、苦しんでいる人と立場を入れ替わることで(……)相手の気持ちに思いを馳せたり、感情が揺さぶられたりする」。体験共有は、心理学では「情動感染」、神経科学では「脳のミラーリング」と言われ、共感のもっとも有名な形式として昔から知られている。

●考える――メンタライジング
 あなたは親友の苦しみを共有しながら、同時に、相手の心の内側を思い浮かべている。どんなふうに動揺しているのか。それについて本人は何を考えているのか。これからどうするのか。こうした問いの答えを出すために、あなたは探偵のように、親友の行動や状況に関する証拠を集めて、どう感じているか推測する。

 こうした認知レベルでの共感は、他人の視点を具体的に想定するという意味で、「メンタライジング」と呼ばれる。メンタライジングはマインドリーディングの日常版で、体験共有よりも複雑だ。ほとんどの動物には備わっていない高度な認知能力を要するので、進化においてもあとから出現した。体験共有の力は幼い頃に身につくが、メンタライジングのスキルが磨かれるには時間がかかる。

●配慮する――共感的配慮
 
本当に親友同士なら、相手が涙ぐんでいるのを眺め、暗い気持ちになって、ただ相手のことに考えをめぐらせているだけではないはずだ。おそらくあなたは親友の気持ちが回復することを願い、その後押しになる方法を考えるだろう。

 これが研究者の言うところの「共感的配慮」だ。他人の幸せ(ウェルビーイング)の状態を改善したいという意欲を抱く。このタイプの共感が、思いやりのある行動に一番つながりやすい。西洋の研究者はこれまで、メンタライジングや体験共有と比べると、共感的配慮にはさほど関心をもたなかった。しかし最近ではそれも変わりつつある。共感的配慮は、仏教で何百年もの歴史がある「コンパッション(慈しみ)」の形式とも密接に結びついている。たとえば仏教でいうKaruna(悲しみ)は、他者が苦しみから解放されることを望む気持ちを指す。

 共感に関してどんな対策が必要か理解するためには、まず、どんな共感をしているか見分ける必要がある。