『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が、20万部を突破。分厚い788ページ、価格は税込3000円超、著者は正体を明かしていない「読書猿」……発売直後は多くの書店で完売が続出するという、異例づくしのヒットとなった。なぜ、本書はこれほど多くの人をひきつけているのか。この本を推してくれたキーパーソンへのインタビューで、その裏側に迫る。
今回は特別編として、日本最高峰の書評ブロガーDain氏と『週刊ダイヤモンド』特別付録「大人のためのBESTマンガ」を監修した読書猿氏の「マンガ対談」が実現。『独学大全』とあわせて読みたいマンガについて、縦横無尽に語ってもらった。(取材・構成/谷古宇浩司)
「不自由」なスポーツで、「自由」を回復する
Dain オススメマンガのリストを見ていると読みたいマンガが増えていきます。
読書猿 『さよならわたしのクラマー』(注1)って女子サッカーのマンガ、ご存じですか。
このマンガ、いつか書評しようと思って、書き出しだけ考えてあるんです。「フットボールは自由を手放すことに始まる競技である」と。サッカーっていうのは、直立二足歩行して得られた「手が使える」というヒトという生き物最大の自由を捨てて、足で丸いボールを扱うという無理ゲーです。しかもサッカーの歴史が積み重なるごとに、ますますお互いの自由を制限する方向に進化してきた。相手チームのスペースを消す、ボールを相手に持たせないで相手の時間を奪う……。
この作品の背後には、そういった洗練されたチーム戦術を積み重ねたモダンサッカーの流れがあります。そういう制約の果てに、不自由極まりない競技だからこそ、すごいフィジカルで、テクニックで、あるいは予想もつかない創造的なプレーで、一瞬の隙を突いて相手ディフェンスを掻い潜れば、ほんの束の間かもしれませんが、「自由」を奪還することができる。それがサッカーの醍醐味で、日常生活でままならぬことも多いサッカーファンは、自由を取り戻す、そんなプレーに喝采をおくるんです。そういうプレーができるのが天才。そんな天才と、天才ならざる者がたくさん出てくるんです。
主人公の1人は『さよならフットボール』(注2)にも出ていました。男子サッカーチームに女子が1人混ざる話。男子に比べれば、彼女のフィジカルは弱点。監督から試合に出さないと言われたけど、最後にピッチに立ち、足技でゴールをアシストをする。それが彼女の最初で最後の公式戦。その子が登場人物の1人として、『さよならわたしのクラマー』に出てきます。
Dain 作者は『四月は君の嘘』と同じ方ですか?
読書猿 そうです。サッカー、クラシック音楽ときて、サッカーに戻ってきた。
『さよならわたしのクラマー』は女子サッカーの話ですが、そもそも我々の社会では残念なことに、女子サッカーはあまり祝福されていないというか、高校レベルだとできる学校も少ないし、やれる環境はすごく限られている。このマンガの主人公たちの学校には、女子サッカー部はあるんですが、校内のグラウンドは男子サッカー部が使うから、と言われたり。彼女たちは男子より自由を奪われているわけです。そういう制約がある。だからこそ、制約に抗い、自由を取り戻す瞬間がより感動的になる。「自由を求める」というサッカーの特性にフォーカスしている作品と言えます。サッカー好きにはぜひ読んでほしい。
(ゲームのルールとして)手が使えないという不自由から生まれる天才的な才能、そんな制約をプレイヤー同士で掛け合うことで進化するシステム、制約から(たとえ数秒であっても)抜け出すことで生まれる動きの美しさ。僕はサッカーをそういう風に見てしまうんですが、『さよならわたしのクラマー』には、そんなサッカーの楽しさや美しさがいっぱい詰まってると思います。
「何を大切にするか」=戦略
読書猿 『さよならわたしのクラマー』のもう1つのよいところは、プリンシプル、原則原理のぶつかり合いということ。サッカーには同じ1つのボールを蹴り合うというシンプルなルールがありますが、何を大切なものと考え、どういうサッカーをするのかによって、プレイスタイルもチームの戦略もまったく変わってくる。そして、このマンガでの試合は、すべて異なるプリンシプルをもった、全く違うフットボーラー、チーム同士の戦いなんです。多分、主人公が一番何も考えてないんじゃないか、というくらい、どのライバルたちも独自のサッカー観、サッカーのポリシーをもっている。
僕が一番好きなのは、作中の栄泉船橋高校の女子サッカーチームの主将さんですね。すごい知将でカリスマもある。この高校にはサッカーのことがわかっている指導者はいなくて、彼女がチームの戦略を全部考えて、すごいネゴシエーションでしっかりとチームに浸透させ、ものすごいインテンシティーのハイプレスを駆使するアテレティコ・マドリーみたいな、ガチガチの守りのチームを作り上げる。
そんなチームが全国大会の常連チームと勝負して、勝つ。まさにジャイアントキリング。その勝ち方がいいんです。前半は守備ばかりして相手に攻撃をさせないような感じなんだけど、最後にバルサ時代のロナウジーニョみたいなツインテール・アタッカーが今まで隠してた本性を現して攻撃型にスイッチする。そうやって全国レベルの強豪チームに勝つ。それだけじゃなく、この守備的チームという評判を定着させて、来年は超攻撃的な戦略であっと言わせようと思ってる。自分が胃薬飲みまくって苦労して育てたチーム戦略を、単なる見せ金にして使い捨てる。そんなえげつないことを高校生がやっている。で、彼女は「私は凡人ですよ」と言うんです。たまんないですね。このセリフは主人公チームの監督がちゃんと拾ってて、「凡人か。自覚のない異才が自分を表すときに使う言葉だ」と(笑)。
ただ、この作品はけっこういいところで終わってしまった。同じチームと1回しか戦っていない。再戦の前で終わってしまったんです。「オレたちの戦いはこれから」的な。もっと長く連載して、昔のサッカーマンガみたいに、最後は主要登場人物がみんな日本代表になるところまでやってほしかった(笑)。それくらい魅力的なフットボーラーばっかりなんですよ。最近のサッカーマンガとしては『アオアシ』に匹敵するくらいの作品。女の子たちは自分たちの戦う理由が分かっている。それが美しいし、面白い。
Dain 主要登場人物みんなが日本代表っていったら『キャプテン翼』になっちゃう(笑)。『クラマー』は未読ですが、すごい必殺技があって、それで勝つといった展開ではなさそうですね。必殺技の特訓とかじゃなく、自分のサッカー観を元に戦略を立て、それに向けて地道に練習を積むというやつでしょうか。
モダンサッカーで勝つなら「知ること」「理解すること」が重要
Dain 『アオアシ』(注3)は子どもがハマってて、読み始めたんです。
読書猿 『アオアシ』には「モダンサッカーというのはここまでやるのか」ということを思い知らされました。現代のサッカーは知性化というか、知ること理解することがとんでもなく重要になっている。だからこそ、このマンガでは、Jリーグの下部組織であるクラブユースが舞台になってるんです。そこにフォーカスしたマンガはこれまであまりありませんでした。
高校年代のサッカーにはちょっと前まではリーグがなくて、試合と言ったらトーナメント戦で行われる選手権がメインだったんですけど、そうすると、強豪と競い合うチャンスが限られてしまう。一方、リーグ戦なら毎週試合ができる。ヨーロッパのクラブチームのように、ユースリーグを組織したことで日本の高校生のサッカーレベルが上がっていきました。じゃあ、ユース世代の選手は何を課題に、どういう試合をしているのか、というのが『アオアシ』で描かれます。
主人公は愛媛から東京に出てきた青井葦人(あおい あしと)くんです。サッカーに関して天才的なものを持っているのだけれど、本格的にサッカーの技術を学んだことはありません。以前の記事で紹介した『ブルーピリオド』の八虎くんと同じで、無知からクラブユースのサッカーの世界に入っていく。知性化した現代のフットボールでは、困難はフィジカルで負けてるとか、技術的に下手とかじゃないんです。お互いのプレーの意図が理解できないとか、チームとして何をやっているのかわからない、という認識上の問題が一番の困難。クラブユースでは、小さい頃から、サッカーの捉え方、考え方を叩き込んでいるんです。そこに、そういうこと何も知らない子が放り込まれる。こうした困難に直面した、葦人の驚きと気づきを通して、読者もユースのサッカー、これを通じて現代のサッカーがどういうものかを学んでいく。そういうマンガなんです。
Dain ピンチになったとき、葦人が開花するシーンで、必ずと言っていいほどカラスが飛んでおり、フィールド全体を俯瞰するような大ゴマが使われています。いわゆるイーグルアイ(鷹の眼)というやつですね(黒子のバスケを思い出してしまう)。
私たちがサッカーを観る時は、普通、フィールドを見渡すような視点(ハーフラインからゴールとか、両方のゴールが見えるぐらい、「引いた」カメラ視点)です。しかし、テレビ実況などで、フィールドの「中」にカメラが入って、プレイヤーの目線で見ると、遠近感がつかめなくなります。実際のプレー中だと、他の選手の体で隠れたりして、全員がどこにいて、どこへ向かっているか、分からなくなります。
それが、カラスの目線だと、フィールド全体を俯瞰するように見えます。これは、テレビ実況やゲームの視点ともまた違った、いわば、「ドローンで俯瞰する視線」だと思います。この視線は最強で、次に誰がどう動くのか、どうすれば「良い形」に持っていけるのかを考える上で、最も優れていると思います。葦人は、このカラスの視線で見ている、という作者のメッセージなのかも、と思いながら読んでいます。
読書猿 サッカーマンガではもう少し前の作品ですが、『GIANT KILLING』(注4)も画期的でした。主人公の達海猛さんは天才的なプレーヤーだったんですが、怪我で若くして引退し、イングランド5部リーグのアマチュアクラブをFAカップのベスト32に導いた。その後、日本に戻り、古巣のETU(イースト・トーキョー・ユナイテッド)の監督をやる。
日本代表監督を務めたイビチャ・オシムのインタビュー集や評伝が出たりして、普段サッカーを見ない人にも監督の仕事に注目が集まり始めたことがありましたね。監督が代わればチームが変わる。それはクラブチームもナショナルチームも同じ。そういうことが一般的になり始めた時代の作品です。
達海さんはETUの監督として最初、いろいろとわけのわからないことをやるんです。当然、チームのメンバーは反発する。でも、そういう反発は織り込み済み。悪い意味で安定してしまっているチームを変えるためには、その訳のわからない介入で、プライドや背負いすぎた責任感など、つながりあってできている悪循環を一旦壊す必要があったんです。そこから集団内にどんな力学が働くか。その結果、チームがどんなふうに変わっていくかをドラマチックに描いていく。
技術が「言語化」されている面白さ
Dain スポーツつながりだと『ハイキュー!!』(注5)。バレーの技術の話ですね。技術を解きほぐして理解し、試合の中で応用して勝ち上がっていく。すごいシーンに何度もブルっとさせられました。あたりまえですが、現実だと1秒間のプレイは、1秒間でしか見ることができませんが、その1秒(というか0コンマ何秒)かの最高到達点で止めて、そこからコートを眺めることができるってすげぇ、と思いました。マンガ以外では絶対に見ることができないパースとアングルです。
読書猿 すごく緻密なバレー描写ですよね。この技術はなぜ、こういうふうにあるのかと。『ハイキュー!!』で描かれる技術は、こういってはなんですが、みんな「物理法則」に則っています。未知の力も、神秘もない。プレイヤーはみんな人間だから、当たり前ですが、手足の数は一緒。物理的な制約に従わざるを得ないからこそ人間という限界の中で、大きい人と小さい人や、高くジャンプできる人、できない人などのいろいろな差がある。バレーという競技なんかは特に身長が10センチ大きいだけで大きなアドバンテージになる。それに対抗する方法も物理的、現実的に描かれています。踏み切り方とか、力の与え方とか、とにかく細かい。そういうことは実際、読者でも理解可能だし、だからこそ、大変なんだけど、なんとか実現可能なものに思えてきます。
つまり、『ハイキュー!!』というのは、必殺技のない世界なんです。試行錯誤を経た後の気づき、それに基づいた地味な練習の積み重ね。それは合理的に結果を出すためのトレーニングで、やり切るのは大変なんだけど、僕たちでも頑張ればできそうじゃないですか。超能力や羽根(笑)なんかなくても到達できる場所、僕たちと陸続きの世界の話だと思える。でも、陸続きとはいえ、あんな遠いところまで行ってしまう人たちの凄さというのがね。
Dain あっ、今気づいた。『独学大全』と同じ思想だ。
読書猿 おお。
Dain 『独学大全』を読むと、学ぶことに一発逆転はなくて、面倒臭いことの積み重ね、挫折と復活の繰り返しなんだなあと気づくじゃないですか。
天才に追いつくのは大変だし、独学を本気でやろうと思ったら、本当に毎日の積み重ねが必要です。僕も今、「ラーニング・ログ」(学習の記録)を毎日Twitterで呟きながらやっていますけど、正直やめようと思う日もある。面倒くさいですから。でも、やればできる。続ければ、それだけ積み上がる。だから頑張れますね。
書評ブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」管理人
ブログのコンセプトは「その本が面白いかどうか、読んでみないと分かりません。しかし、気になる本をぜんぶ読んでいる時間もありません。だから、(私は)私が惹きつけられる人がすすめる本を読みます」。2020年4月30日(図書館の日)に『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』(技術評論社)を上梓。