テクノロジーが進化した先には、どんな未来社会がやって来るのだろうか。内閣府が「2050年までに実現すべきムーンショット目標」に示す7つの目標の一つが「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会」だ。その実現を目指す研究開発プロジェクトの一つ「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発」を主導する慶應義塾大学大学院の南澤孝太教授に、研究の現在地とこれからを聞いた。(聞き手/三菱総合研究所先進技術センター センター長 関根秀真、構成/フリーライター 小林直美、ダイヤモンド社 音なぎ省一郎)
量的な人間拡張から、質的な人間拡張へ
関根 まず、南澤先生が今研究を進められている「サイバネティック・アバター(CA)」についてご説明いただけますか。
南澤 簡単に言えば「技術で実現する新しい身体」です。私の専門である、力触覚(ハプティクス)や身体感覚を伝送する技術を核として、感覚が共有できるVR(バーチャルリアリティ)や、人の動きにシンクロして動く分身ロボット、人間に新たな機能をプラスする身体拡張技術などについて主に研究しています。
こうした「新たな身体経験を可能にする技術」を、私たちは「身体性メディア(Embodied media)」と呼んでいます。人間はこれらのメディアを介してこれまでの生身の身体だけでは得られなかった経験、例えば、同時に複数の異なる場所で活動したり、全く違う身体を持つ他者の技能や経験を自分の経験として取り入れたりすることを通じて、新しい身体性と社会性を身に付け、「サイバネティック・ビーイング」という新しい存在になっていくのです。
関根 身体拡張技術については、私たちの著書『スリーエックス』でも注目しています。また、昨年は『フロネシス』という当社発行の媒体でも特集しました。ハプティクスはもちろん、ロボティクス、AI、再生医療といったさまざまな技術領域が融合すれば、人間の進化はさらにドラスティックなものになりますね。
南澤 三菱総研さんでは、それを「13番目の人類」と表現されていましたね。この言葉は、私たちにもすごく刺さりました。「サイバネティック・ビーイング」は、まさに「進化したホモ・サピエンス」といえると思います。
ただ、人間の拡張や進化というと、「1人で10人分の仕事ができる!」みたいな超人化をイメージする人が多いのですが、私たちが目指すのはそこではありません。量的な拡張や生産性向上を志向するのではなく、QOLをいかに高めるか――。つまり「質的な人間拡張」こそが重要と考えています。
例えば、私たちの研究室で以前、高齢者施設に入居しているおばあちゃんが孫の結婚式に出席できるように、アバターロボットを使ってサポートしたことがあります。また、私たちのプロジェクトの一員である「オリィ研究所」というスタートアップは、重度障がいのある人がアバターロボットを遠隔操作してカフェの店員として働ける「分身ロボットカフェ」を開いています。
病気、障がい、加齢などで思うように活動できない人は世の中にたくさんいます。CAは、まずはこうしたバリアを取り除くためにこそ活用されるべきだと考えています。
関根 具体的な技術領域には、どのようなものがあるのでしょうか。
南澤 「認知拡張」「経験共有」「技能融合」の3方向から研究を進めています。
CAという新しい身体を使えるようになると、人間の認知も大きく変わります。例えば、筋肉ムキムキのアバターを使うだけで、実際に強い力が出たりする。こうした認知の変容をうまく使いこなせるようにしなくてはいけません。また、分身アバターを使えば、ひとりの人間が同時に幾つもの場所に存在できるようになります。それらをうまくコントロールし、1人の人の技能を適切に配分したり、それぞれの経験を共有する技術も求められます。
さらに、1つのアバターを何人かで共有できれば、複数の人間の専門知識や技能が融合できるようになります。例えば、初心者は熟練の職人とアバターを共有することで技術を体感的に学べますし、へき地の病院に置いたアバターロボットに世界中の専門医がアクセスできれば、あらゆる病気の治療に対応できるようになるのです。