「ヘルシー」から「ハッピー」へ医療はいかに拡大するのか

医療の概念が大幅に拡大している。人々の健康観、人生観が多様化する中、医療はもはや病気を治す、心身の健康を維持するという目的にとどまらず、QOL(生活の質)やウェルビーイングといった言葉で表される「豊かさ」の達成が求められているのだ。答えのない領域に広がりつつある医療に対して、広告やロボティクスといったさまざまな分野とのコラボレーションによって、課題の発見と解決に取り組むのが東京医科歯科大学の武部貴則氏だ。同大学と横浜市立大学医学部の両大学で史上最年少教授に就任した俊英の見据える先とは。(聞き手/三菱総合研究所先進技術センター センター長 関根秀真、構成/フリーライター 二階堂尚、ダイヤモンド社 音なぎ省一郎)

生活の質を高める要因を見いだす医療

関根 武部先生は「イネーブリング・ファクター」という考え方を提唱されています。

武部 「イネーブリング(Enabling)」とは、個人の自立や成長を促すという意味です。これまで、医療の目的は人々を「健康」にすることであると考えられてきました。健康を損ねることがないように予防をし、病気になったら健康な状態に戻す。それが医療の役割だったわけです。

 しかし、社会や人々の生活が大きく変化する中で、単に健康であるだけでなく、楽しさや喜びを同時に実現し、生活の質をトータルに向上させることが医療にも求められるようになってきています。つまり、「ヘルシー」と「ハッピー」の両立を目指すということです。ヘルシーでハッピーな生き方をそれぞれの人が実現するために必要な要因。それを私たちは「イネーブリング・ファクター」と呼んでいます。

関根 具体的にはどのような要因があるのでしょうか。

武部 実例を基にご説明します。私たちは、過去に「二つの階段」という実験をしたことがあります。駅の中に「ヘルシーを促進する階段」と「ハッピーをもたらす階段」の2パターンのイネーブリングな階段を作って、そのどちらがより上りたくなるかという実験です。ヘルシーな階段の方は、途中に消費カロリーを記載し、ハッピーな階段の方は上る途中でいろいろなアートが楽しめるようにしました。

 結果の違いは如実に表れました。ハッピーな階段を選んで上る人の方が圧倒的に多かったのです。つまり、「健康に関する情報」という要因よりも、「ワクワクする」「楽しい」といった要因の方が人々にとって重要だったということです。この実験から得られたのは、人々の気持ちの根源にダイレクトに関わるファクターにアプローチすることが、健康促進にも有効であるということです。つまり、「ハッピー」を入り口にして、そこから「ヘルシー」への道筋をつくっていくという方法です。

 このようなイネーブリング・ファクターを街や人々の生活空間に組み込んでいく取り組みの一つを、私たちは「ストリート・メディカル」と呼んでいます。ストリート・メディカルでは、扱うべき対象が「病(Disease)」から「人(Humanity)」に移ります。古典的な臨床医学の範囲を超えて、人を扱うことによって医療の領域が拡張するわけです。

 ストリート・メディカルという概念を導入することによって、健康状態を維持する、病気を治すというゴールが限定的な医療から、無数の答えを用いる広大な実践領域へと発展するはずです。そうした広い概念で医療を捉えていくために、ストリート・メディカルでは、従来の医療とその周辺分野だけでなく、アパレルやロボット開発といった、一見関係が薄いと思われる多様な分野と連携した取り組みが進んでいます。