この問題の価値判断は論理的にわりあいシンプルだ。審査を含む上場の手続きが過剰に面倒なのであれば、これを正すといいのだ。ダメな(「過剰に」ということは必然的にダメだ)手続きをそのままにして、SPACを使った簡単な上場の道を作ることに正義はない。

証券取引所にとってSPAC容認は
ほとんど自己否定的な自殺行為

 SPACの上場と資金調達を許容することは、投資家の保護と利便性のために上場の審査を行っているはずの証券取引所にとって、ほとんど自己否定的な自殺行為といっていい。

 はっきり言うと、証券の取引はほとんど機械でできる。上場して取引される銘柄の発行企業に対して規律を求めること以外に、証券取引所に積極的な機能はない。形式を満たしていれば事業内容のない「空箱」でも上場できて資金調達までできるのなら、証券取引所の存在意義の相当部分が失われる。

 閣議決定の文書には「企業の目利き能力を持つ運営者がSPACを設立」などと書かれているが、おそらく政府は、証券取引所には形式的な審査手続き作業能力しかなく、「目利き」などできないと思っているのだろう。一方、金融ビジネスの現実を思うと、「目利きのふりをする人」を信じることほどばかばかしくて危ないことはない。

 確かに、上場審査の手続きは現在よりも効率化され、時間的にも短縮されるべきなのかもしれない。しかし、手続きがぐずだからといって、裏口をつくるべきではない。修正すべき点があるとすると、あくまでも上場審査の手続きの方だ。SPACのようなインチキビジネス(どこがインチキなのかは後で説明する)を引っ張り込むことが解決策ではないはずだ。

 論点を繰り返す。取引所の審査や手続きが適切なものなら、SPACは要らない。不適切なら直せばいい。証券取引所は、自らの存在意義とプライドを懸けてSPAC導入に反対すべきではないか。

SPACに反対する理由その2
決定的な「ボッタクリ」

 筆者は、正直に言ってSPACをはじめから「怪しいものだ」と思ったのだが、なぜこんなにはやっているのか、理由を知りたかった。しかしこの度、先に挙げた研究員たちによる二つのレポートを読んでその理由が分かった。多くの経済人(エコノミックアニマル)たちがSPACをやりたがるのも無理はない。