永野護・元帝人取締役
「ダイヤモンド」1967年11月27日号の特集「明治100年・日本経済史への証言」に、“帝人事件の立役者”とされた永野護(1890年9月5日~1970年1月3日)の寄稿が掲載されている。

 特集タイトルにあるように、1967年は明治元年(1868年)からちょうど100年。封建社会から近代国家への脱皮を通じた波瀾万丈の100年間だった。特集では、日本経済にあやなす数々の経済事件や、そこに踊った人々の証言が掲載されている。そのひとつが昭和初期の1934年に起こった帝人事件というわけだ。

 帝人事件とは、台湾銀行の帝国人造絹糸(現帝人)株処分に絡んだ贈収賄疑獄事件のこと。政・財・官界の有名人が次々に拘留され、時の内閣が総辞職に追いやられる原因ともなるほど、日本の政治、経済、社会に与えた影響は大きかった。NHK連続テレビ小説「虎に翼」では“共亜事件”という名前で登場し、主人公の猪爪寅子の父、猪爪直言が巻き込まれ、令和のお茶の間でもにわかに再注目されている。

 永野は当時、帝人の取締役だけでなく、山叶証券(現みずほ証券の前身)取締役、東洋製油取締役など、多くの大企業で役員を務め、若手財界人グループ「番町会」の中心メンバーでもあった。戦後は政治家として運輸大臣も任じている。永野は政財界の橋渡し役として、事件を主導した疑いが持たれていた。

 起訴された16人の大物たちは、裁判前の予審ではほぼ全員が罪を認め、自白していたが、事件発覚から3年後の1937年に確定した第一審判決では、起訴された全員が無罪となり幕を閉じた。判決文では“空中楼閣”という言葉で、まったくの虚構の事件だったと断じられている。さて、永野が語った事件の真相とは?(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

「時事新報」が火付け役
兜町のひがみも絡んだ

「ダイヤモンド」1967年11月27日号1967年11月27日号より

 帝人事件のことをお話しすると、まず「時事新報」(編集部注:福沢諭吉が1882年に創刊した日刊新聞)の悪口になる。時事新報の悪口というよりか、武藤山治(鐘淵紡績社長から時事新報の社長に就任)さんの批判になるんだが、この人は、新聞経営なんか経験がなかった。だから新聞社に寝台を持ち込んで、24時間勤務のようなこともやったんだ。

 それでも、だんだん時事新報が悪くなったので、彼は「これほど真面目にやって引き合わんという法はない。これは、まともな商売ではないのだ。正力松太郎(警視庁警務部長から読売新聞社社主など)の後ろには、永野という悪いやつがついておって、警視庁で入手した材料で、財界連中を脅かしているからやっていけるんだ。時事新報は正しいことをやるものだから、24時間勤務でも引き合わないのだ」という、とんでもない理屈をつけて、ぼくたちのあらを探していた。

 ぼくは当時、証券業者だった。山叶証券(合併を経て現みずほ証券)の専務だから、証券業者が株を扱うというのは当然のことなんだ。

 それを彼は、山叶が商売しているのを見ると、帝人株がある。そして123円の市価のときに、2円上の125円で買った。ところが、それが後に上がった。そこに上がるということを知るべき立場の帝人の重役が参画している。だからその重役は背任罪で、ぼくはその共犯者、ということにした。

 しかし、将来の増資を見込んで市場相場より高く買って、それが後になってさらに値上がりしたからといって背任だなどということは、近頃の経済記者なら、誰も問題にしないことだ。

 しかし、彼は「悪いことをやらないと世の中は渡れないのだ」という前提に立っているから、そういう理屈にならない理屈をつけてぼくたちのあらを探して歩いたんだ。

 そうしたら、黒田英雄という大蔵次官が酒が好きで、朝から晩まで飲んでいる。“午前さま”といわれて午前にならないとやめない。そして、彼が飲んでいる料亭が、たまたまぼくも行く家だった。そこで、ぼくが行くということと、黒田がそこで酒を飲んでいるということを結び付けて、その軍資金は全部ぼくが出していると思い込んだ。

 そこで話は飛躍するんだが、黒田が大蔵次官だから、台湾銀行(戦前の台湾における実質的な中央銀行)に対して職務上の権力がある。だから、台湾銀行に命令してあの株を売らせたんだということにした。

 それに、いろんなことが絡んだ。当時、兜町は不景気で、人件費ばかり多くて、各店が食うや食わずの状態だった。そのときぼくのところは、帝人株のまとまった何十万株とか、その他、神戸製鋼所、東京瓦斯電気工業(いすゞ自動車、日野自動車などの前身)とか、そういう大きい、ぼろい手数料の入るのをやる。

 そこで永野のところが一人でいいことやっている、こっちは何百人と人を抱えて立ちいかない、あいつ何かあるんじゃないか、ということになった。

 つまり、兜町のひがみが絡んだ。