火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』は、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞夕刊、読売新聞夕刊と書評が相次ぎ、累計8万部を突破。『Newton9月号 特集 科学名著図鑑』において、「科学の名著100冊」にも選出された。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
ガラスの起源
人類がガラスをつくったのはいつのことだろうか。自然界には黒曜石(黒曜岩)などガラス質の岩石があり、石器ナイフとして使われていた。
人類のガラスの発見には諸説ある。
ガラスは、石や砂のなかにある材料から取り出してつくることができる。使う材料はおもに、ケイ砂(石英)、炭酸ナトリウム(ソーダ灰)、炭酸カルシウム(石灰石)だ。
いまのところ、エジプト・メソポタミアの遺跡から発掘されたガラス玉が世界最古とされている。エジプト第四王朝時代(紀元前二十四世紀頃)の遺跡には、すでにガラス吹製の図が残されている。また、紀元前五〇〇〇年頃にはメソポタミアでガラス玉がつくられていたと推定されている。
古代エジプトやメソポタミア(西アジア)では、紀元前四五〇〇年頃から青色の焼き物「エジプト・ファイアンス」をつくる技術があった。これは、当時貴重だったトルコ石やラピスラズリの代用品として使われ、装飾品や副葬品として広く利用されていた。釉薬にガラスの原料と同じような物質が使われていたので、焼くと表面がガラス質に変化する。こうしてできたものが、最初につくられたガラスではないかというのである。
もう一つ、こんな話がある。
2000年前にプリニウスという学者が書いた『自然博物誌』には、「3000年前のフェニキア(現レバノン)でソーダ灰の商人が食事の準備をする際に、支えの石がなかったためにソーダ灰のかたまりを支えにして鍋をかけたところ、砂と混ざってガラスができた」と書かれているのだ。
しかし、この記述には疑問が残る。砂にケイ砂(石英)と炭酸カルシウム(石灰石)が含まれているという偶然が重ならないと成立しないし、また、焚き火程度の温度で、はたしてガラスはできるのだろうか?
私は高校化学の授業で「鉛ガラス」をつくったことがある。ガラスとしては低い温度でつくることができるものであり、原料は粉末ケイ砂と酸化鉛と炭酸ナトリウム。植木鉢を上下に二つ重ねたような炉に薬品を入れたルツボをセットし、ガスバーナーで熱した。八〇〇℃を維持できる炉を使えば、ルツボに入れた塩化ナトリウムを液体にすることができる。プリニウスには申し訳ないが、焚き火程度の火力で鉛ガラスよりも高温が必要なガラスができるとは、私には思えないのである。
とにかく、偶然にガラスができたとしよう。その後、融けたガラスを型に流す(鋳造ガラス)か、棒に泥をつけてできた芯にガラスを巻きつける方法で、壺やびんなどがつくられたといわれている。
吹きガラスの発明
紀元前一世紀頃に、吹きガラスが発明された。赤熱してどろっと融けたガラスに空気を吹き込んで冷やすと肉薄の球体になった。これで、飲み物の器などをつくることができた。こうしてつくられたガラス製品が日常品として普及し始め、ローマ帝国内の透明なガラス器は、ローマングラスと呼ばれた。
また、中国の戦国時代(紀元前五世紀~紀元前三世紀)の墓からは、多量のガラスの器や丸いガラス玉が出土している。その後、漢代(紀元前二〇六~二二〇)には鋳造ガラス、唐代(六一八~九〇七)には吹きガラスがつくられた。日本には、漢代に中国から伝わり、弥生時代の遺跡から発見されたガラス玉が最古のものと推定されている。
さて、五世紀頃にはカット技法が始まった。ローマングラスの技法を受け継いだのはササングラスだ。シルクロードを通ってササン朝ペルシアで製造されたこのグラスは、円形模様のカットに特色があり、正倉院にある白瑠璃碗はその一つである。
五~十四世紀頃、ササングラスの技法を引き継いだのがイスラムガラスだ。新たな加工技法が進歩し、そのなかでも代表的なものがエナメル彩色を施した、エナメル技法である。
十二世紀頃、ベネチア共和国はガラス工とその家族をすべてムラーノ島に集め、ガラス産業の保護育成をはかった。色ガラス、エナメル彩色、レースグラスなど美しい装飾と高度なガラス工芸技術が花開いた。さらに十五~十六世紀にはガラス産業の最盛期をむかえ、鏡、杯、テーブルグラス、シャンデリアなどの各種各様のベネチアンガラスがつくられた。