ガラス窓を実用化した中世ドイツ人

 ローマ人は紀元前四〇〇年頃、はじめてガラスを窓用に加工した。しかし、温暖な地中海性気候の場所にあっては、ガラス窓は珍しいものに過ぎなかった。

 ちなみに、窓は英語でウインドウという。これは「ウインド=風」と「オウ=のぞく、目」がもととなっている。北ヨーロッパでは、古代の家には、煙と汚れた空気の換気用として屋根の穴、すなわち「目」があった。風が吹き込むため、その穴は「風の目」と呼ばれた。やがて、イギリス人は、空気を入れるための開口部「風の目」にウインドウという言葉をあてたのである。後に、窓(ウインドウ)にはガラスがはめられるようになった。

 さて、紀元前一世紀頃、吹きガラスが発明され、質のよいガラス窓をつくることができるようになった。窓ガラスの製造を躍進させたのは、中世初期の寒いヨーロッパ北部の国ドイツだった。透明で防水性のあるガラス窓は、光を採り入れつつ雨風をしのげる優れものだった。

 ガラス職人がガラス窓をつくる方法の一つが円筒法である。融かしたガラスを吹いて球体にして、それを前後に振って楕円の筒型にしてから縦に切り圧して平たい板にした。ガラス板は小さいものしかつくれなくても、鉛を使ってガラス板をつなぐと、大きなガラス窓になる。

 さらに、釉薬で色づけをした色ガラスやステンドグラスの窓は、富と洗練さを表現する手段になり、教会建築に使われた。そして次第に教会から裕福な家へと広がり、もっと後になると一般にも使われるようになったのである。

 また、円筒法でできるガラス窓は最大で差し渡し一メートル程度だったが、十七世紀になるとガラス製造技術が進み、幅四メートル、長さ二メートルの板ガラスがつくれるようになった。一六八七年には、熱い融けたガラスを大きな鉄の台に広げ、重い金属ローラーで圧し伸ばすという圧延版ガラス製法が発明された。

錬金術で活躍したガラス器具

 錬金術において火は大活躍する。加熱による融解、加熱による分解、加熱による灰化、蒸留、溶解、蒸発、ろ過、結晶化、昇華(固体から直接気体にすること)、アマルガム化(金属を水銀に溶かし合わせて合金にすること)などの操作を行うことができた。

 そこで、まず必要なのは、窯などの炉やルツボである。粘土に砂を混ぜて焼き固めて耐火性のルツボをつくった。炉とルツボは錬金術の時代の前からあり、ガラスもあった。

 錬金術の時代、いまでいうビーカーやフラスコなどが、ガラスや陶器でつくられた。蒸留には、レトルトというガラス器具がよく使われた。現在でも活躍の理化学ガラス実験器具の多くは、錬金術の時代のガラス器具がルーツとなっている。

 また、その他にもガラスは、たとえばレンズになり、望遠鏡の発明で人類の宇宙に対する認識を大きく広げ、顕微鏡の発明では、細胞学や微生物学、医学などの分野に多大な貢献をした。

(※本原稿は『世界史は化学でできている』からの抜粋です)

左巻健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。