ターゲットの実名はオサマ・ビンラディン。複数の民間航空機をミサイル代わりに使ってアメリカの中枢を破壊し、世界を震撼させた2001年9月の米同時多発テロの首謀者である。

 その空前絶後の惨劇から今年でちょうど20年目を迎えた。

 世界一の大国アメリカに無謀にも戦争を仕掛けたビンラディンという男はいったいどんな人物だったのか。そして事件の裏に隠れた真相とは。関係者の証言や報告書を基に振り返ってみたい。

「彼(ビンラディン)のすぐ側の棚に銃があった。危険な状況だ。彼が自爆しないよう、私が頭を打ち抜く必要があった――そして額に向けて2発撃った。バン!バン! 2発目で彼は倒れていった。それからベッドの前の床に倒れたところにさらにもう一発、バン!彼は死んだ。動かず、口から舌が出ていた」

 隠れ家に突入しビンラディンを射殺した米海軍特殊部隊元隊員は2013年に沈黙を破って、殺害の瞬間の模様を米エスクァイア誌のインタビューでそう語っている。遺体は米軍のDNA鑑定によってビンラディン本人と確認されたという。

 同日、米空母カール・ビンソンで水葬の儀式が行われ、ビンラディンの遺体はアラビア海に沈められた。アメリカ政府はその理由を埋葬場所が見つからなかったからとしているが、恐らくイスラム過激派による遺体の回収や埋葬された場所がテロリストの聖地になることを恐れたのだろう。アメリカ政府は遺体の映像を一切公開しないと決めている。

ビンラディンを変えた
ソ連軍のアフガニスタン侵攻

 世界で最も恐れられた男の姿はこうしてこの世から消えたが、彼の生い立ちは、我々がよくイメージする貧困や差別から生れたテロリストとはまったく異質なものだった。

 1957年3月10日、ビンラディンは建設業で財をなしたサウジアラビア有数の富豪の一族として生まれた。その後、敬虔なスンナ派のイスラム教徒の父の下で育てられ、首都リアドに次ぐ大都市ジッタの一流大学に進学。経済学や経営学を学んでいる。