1200年続く京都の伝統工芸・西陣織の織物(テキスタイル)が、ディオールやシャネル、エルメス、カルティエなど、世界の一流ブランドの店舗で、その内装に使われているのをご存じでしょうか。衰退する西陣織マーケットに危機感を抱き、いち早く海外マーケットの開拓に成功した先駆者。それが西陣織の老舗「細尾」12代目経営者の細尾真孝氏です。その海外マーケット開拓の経緯は、ハーバードのケーススタディーとしても取り上げられるなど、いま世界から注目を集めている元ミュージシャンという異色の経営者。そんな細尾氏の初の著書『日本の美意識で世界初に挑む』が9月15日にダイヤモンド社から発売されました。「失われた30年」そして「コロナ自粛」で閉塞する今の時代に、経営者やビジネスパーソンは何を拠り所にして、どう行動すればいいのでしょうか? 新しい時代を切り開く創造や革新のヒントはどこにあるのか? 同書の発刊を記念してそのエッセンスをお届けします。これからの時代を見通すヒント満載の本連載に、ぜひおつきあいください。
セックス・ピストルズが体現していた「工芸的な姿勢」
創造と革新を生むための第一のポイントは、「固定観念の打破」です。
実は私は、二〇代前半の頃はプロのミュージシャンとして活動していました。音楽にのめり込むようになったきっかけは、高校生の頃に「パンクミュージック」と出会ったことでした。
特に、イギリスのセックス・ピストルズというバンドに大きな影響を受けたのですが、今にして思えば当時、私がパンクに惹かれたのは、そこに「工芸的な姿勢」が表れていたからだと思います。
音楽に興味が出てくると誰しも、既存のアーティストの曲を「コピー」して演奏します。でも中学生の頃の私は、他人の曲をコピーして演奏したり、コピーバンドをすることにまったく夢中になれませんでした。
人の曲をコピーすることにモチベーションが上がらなかったのは、それが私の中で創造的活動ではなかったからです。一般的な道筋ですが、私はそこには面白さをまったく感じませんでした。
でも、高校生の頃にセックス・ピストルズと出会って、大きな衝撃を受けました。コード進行も原始的で、演奏も決して上手くはない。
それでも彼らは確実に、自身たちの音楽を自分たちでつくり出していました。完全にオリジナルな存在でした。その姿に、興奮を覚えたのです。
「音楽はプロがつくるものだ」―。そういう固定観念があるから、誰しも最初はコピーバンドをやるのだと思います。
でも、自分でギターを鳴らして好きにメロディーを付けたり、叫んだりすることのほうに喜びがある。ピストルズによって私は、「自分で音楽をつくればいいんだ」ということに気づかされたのです。
コピーバンドをやることには、まったく興味が持てませんでしたが、「自分で曲をつくる」ことには夢中になることができました。それを生業(なりわい)にしたいと思い、ミュージシャンになろうと決意しました。