1200年続く京都の伝統工芸・西陣織の織物(テキスタイル)が、ディオールやシャネル、エルメス、カルティエなど、世界の一流ブランドの店舗で、その内装に使われているのをご存じでしょうか。衰退する西陣織マーケットに危機感を抱き、いち早く海外マーケットの開拓に成功した先駆者。それが西陣織の老舗「細尾」12代目経営者の細尾真孝氏です。その海外マーケット開拓の経緯は、ハーバードのケーススタディーとしても取り上げられるなど、いま世界から注目を集めている元ミュージシャンという異色の経営者。そんな細尾氏の初の著書『日本の美意識で世界初に挑む』が9月15日にダイヤモンド社から発売されます。「失われた30年」そして「コロナ自粛」で閉塞する今の時代に、経営者やビジネスパーソンは何を拠り所にして、どう行動すればいいのでしょうか? 新しい時代を切り開く創造や革新のヒントはどこにあるのか? 同書の発刊を記念してそのエッセンスをお届けします。これからの時代を見通すヒント満載の本連載に、ぜひおつきあいください。
究極の美を追求する西陣織の歴史
1200年続く京都の伝統工芸「西陣織」の歴史について、駆け足で説明します。
一般的に西陣織というのは、京都の西陣と呼ばれるエリアで作られる先染め織物の総称です。その起源は六世紀にまでさかのぼります。中国で開発された「空引機(そらびきばた)」という織機が日本に持ち込まれ、紋織物を織るようになったのが始まりです。
この「空引機」というのは、高さが四メートルくらいまである非常に大がかりなものです。機械の上に一人が上がって、そこから経糸(たていと)を上げ下げしながら柄を出していく。二人がかりで、一反を織るのに一年くらいの時間を要します。
西陣織の歴史は、究極の美を追求する歴史でした。手間暇をかけて圧倒的に美しい織物をつくる。だから注文主も、天皇、貴族、将軍、神社仏閣の高位聖職者など日本史のトッププレーヤーたちでした。彼らにオーダーメイドの織物を織ることが、西陣の仕事だったわけです。
ちなみに西陣織の「西陣」とは、応仁の乱のときに西軍の本陣がおかれたことに由来します。度重なる歴史上の戦乱で京都は焼け野原になり、そのたびにクライアントは貴族から武士へと変わりながらも、時代の成功者たちが求める最高級のブランドとして生き残ってきました。
クライアントがお金に糸目を付けず、西陣織の究極の美の追求を支えるというエコシステムがあったのです。そのエコシステムが一変したのが、明治維新でした。
この時、西陣織は最大の危機を迎えます。大政奉還によって幕藩体制はなくなり、それに伴って、西陣織を支えてきた将軍はいなくなってしまいました。
天皇や貴族、富裕層も、京都から東京へと移りました。西陣織を求めてきた、主要なプレーヤーがみんないなくなってしまったのです。このままでは西陣のものづくりを未来へと継承していくことができない。西陣織はかつてない危機に直面しました。