イスラエルの物理学者・エリヤフ・ゴールドラットによって執筆されたビジネス小説『ザ・ゴール』。1984年にアメリカで出版された後、瞬く間に世界的なベストセラーになった同書は、日本国内でも125万部を超えるヒットを記録している。そして本年2021年、日本での出版20周年を迎えることになったが、発刊後、日本語の翻訳が禁じられていた時期があったことはあまり知られていない。たしかに、1984年のアメリカでの発刊から2001年の日本での発刊までには、17年もの開きがある。
本連載では、日本語版発刊20周年を記念して、日本での刊行が遅れた経緯、そして本書を通じて著者が伝えたかったことの本質について、著者登壇の伝説の講座の内容を4回にわたってお届けする。
本記事は2021年10月7日にオンラインにて特別配信されたエリヤフ・ゴールドラット氏生前最後の講義「月曜日が楽しみな会社にしよう!」の上映会をもとに作成しています。

Amazonジェフ・ベゾスも経営陣と読んだ伝説の1冊が17年間日本で出版されなかった理由Photo: Adobe Stock

人間の行動は「物理の法則」と同じ?

連載第1回目は、著者の日本人観、そして『ザ・ゴール』日本版発刊にまつわる秘話について語られている部分を扱っていくが、本書をまだ読んだことのない方に向けて、エリヤフ・ゴールドラット氏が、『ザ・ゴール』の本質について語っている部分を要約する形で紹介したい。

「今では、『ザ・ゴール』のアイデアは世界の製造業の約2割で利用されています。ただ、発表当時は、『エリヤフ! 君は正気ではない』『人間の行動を予測できるわけがない』という意見をたくさんもらいました。

しかし、それは本当でしょうか? もちろん、天気予報がそうであるように、100%予測することは不可能です。それでも因果関係をしっかりと把握することで、人間の言動や人間関係を分析することは可能だと私は考えています。

私の専門である物理学、化学のコンセプトとアプローチを人間関係や組織に適用したのが、本書の根幹をなす『TOC(制約理論)』なのです。

もし、人間の行動がまったく予測できないものなら、社会も家族関係さえも成り立たないのではないでしょうか。家庭内のことを例に挙げれば、私が妻の新しい服の感想を正直に言えば、どういうことになるか。みなさんも簡単に想像できるのではないでしょうか」

当日、会場に来場した参加者の15%程度が、本書を読んだうえで実践したと答えたが、成果を発表した製造業に勤務する男性によると、TOCを導入することで、製品を市場に投入するまでの期間が18ヵ月から6ヵ月も短縮できたという。

また、講演でゴールドラット氏は、生産の本である『ザ・ゴール』の姉妹作で、プロジェクトについて書かれた『クリティカルチェーン』のメソッドが日本で成果を出した例も紹介している。

「何年か前に日本を訪れたとき、私は九州で救世主として扱われたことがありました。それはなぜか。毎年、大雨の被害に遭っていた地域の問題がTOCによって解決されたからです。その地域では、土石流を防ぐための施設が、毎年のように岩と泥でいっぱいになり、10年に一度の頻度で大きな被害をもたらしていました。そして、その年は12月になっても工事を開始することができず、『もう間に合わない!』となったそうなのです。そこで、彼らは藁をもつかむ思いで、私の著書『クリティカルチェーン』の知識を採用しました。その結果、ダムは7月の第1週目に完成し、7月の第2週目に襲ってきた台風の被害を食い止めることに成功したのです」

なぜ、日本での発刊が遅れたのか

ゴールドラット氏自身が語るように、氏の開発したメソッドは、日本でも大きな成果を出したということだが、ではなぜ、日本語版の刊行は、アメリカで初版が発刊されてから、17年も遅れてしまったのだろうか。

その理由は、意外にも、TOCのコンセプトが日本人にあまりにもマッチするからというものだった。氏の思いを理解するには当時のグローバルな経済事情を考慮する必要がある。当時といえば、『ザ・ゴール』の発刊に先駆けて発表されたエズラ・ボーゲル氏の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』に書かれているように、日本的経営が世界で脚光を浴び、1989年には世界の時価総額ランキングの上位50社中32社までを日本企業が占めるような状態だった。

そうした状況を憂慮した氏は、これ以上貿易の不均衡を助長してはならないと考え、日本での発刊を延期したという。

「みなさん、ここだけの話ですが、日本人は他の星から来た人たちなのです。彼らとしっかりとコミュニケーションがとれるようになるまではとても時間がかかりました。それでも、私は日本について学ぶ中で、日本文化はどの文化よりも速く、私の制約理論を吸収するだろうということを確信しました。

それまでの私にとって最も大きな課題だったのは、改善が進むことで生産現場ですばらしい成果が出ると、『制約』が生産の外に出ることでした。つまり、改善が利益につながらなくなるどころか、余剰生産能力が目立つようになってしまうのです。

それでも私は、従業員をレイオフすることなど考えてはいけないと伝えてきました。なぜなら、彼らは会社のために改善をしているからです。長い目で見るなら、会社の成功は従業員の忠誠心にかかっていることは明らかです。忠誠とはお互いが尽くすものであり、会社の改善を助けた人たちを解雇すべきではないのです。

そして、私は日本文化に触れ、日本について探求するなかで、日本企業がレイオフなど夢にも思わないということを発見しました。よほど身勝手な従業員は別ですが、数字の改善のためだけのレイオフを、彼らは絶対にしません。当時、日本の製造業は欧米よりはるかに進んでいたため、大きな貿易の不均衡を生んでいました。もし、日本に行って私のアイデアを伝えていたなら、日本の文化にぴったりマッチするがゆえに、貿易の不均衡を助長し、なにもかもダメにしてしまうと私は考えたのです。これは私の妄想だったかもしれませんが、日本で印税収入を得るのは先延ばししてもよいと考えたのです。だから私の本は2001年まで日本語に翻訳することを許可しませんでした」

バブルが崩壊し、貿易の不均衡が解消された2001年、ようやく日本語版が発刊された。そして、氏の予測通り、『ザ・ゴール』はすぐに受け入れられ、今日まで56回版を重ね、125万部を超えるベストセラーになったのである。