なぜ、ひろゆきは「自分の父親」が病気で倒れて喜んだのか?ひろゆき氏(撮影:榊智朗)

現在、日本中で大ブレイク中のひろゆき氏。
彼の「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語った『1%の努力』は、34万部を超えるベストセラーになっている。
この記事では、ひろゆき氏にさらに気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)

「いいニュース、悪いニュース」

「いいニュースと悪いニュースがある」という言い回しがあります。

「いいニュースがある。来年はお前が部活のキャプテンになる。そして、悪いニュースは、お前以外の全員が部活を辞めるそうだ」というような笑い話に使われます。ジョーク以外でも、日常の物事にも当てはまるようなことが多くあります。

 なぜなら、物事には2つの側面があって、いい部分も悪い部分も併せ持つようなことが一度に起こることがあるからです。

 ということは、その人の解釈によって、良いようにも悪いようにも見ることができるということです。

「解釈の違い」があるだけ

 たとえば、誰かが事業で大失敗したとしましょう。そのとき、あなたは悪いニュースとだけ捉えるでしょうか?

 たしかに、その人が失敗したことは悪いニュースです。しかし、事業で失敗することがわかって会社のお金を持ち逃げしたわけではありませんし、思い詰めて自殺することを考えたわけでもありません。

 目の前で「こんな失敗したよ」と元気そうに話してくれるのなら、それはそれで「まあ生きてればそれでいいよ」と言ってあげれば、それはいいニュースにもなりえるのです。

 つまりは、解釈の違いなだけです。

「それで済んでよかったね」

 こないだ、僕の父親が倒れたことがありました。診断の結果、軽い脳卒中のようでした。

 それを受けて、僕の家族のリアクションは「よかったね」と喜んだんですよね。というのも、父親は、体調が悪くてもギリギリまで我慢するようなタイプでした。早くから休むようなことをせず、自分が病気になってもそれを認めないような人だったんですよね。

 だから、もし倒れるようなことがあったら、それはきっと突然死するようなパターンなのかなと思っていたんです。

 そんな矢先に、父親が倒れて病院に運ばれて、それが軽い脳卒中で済んだので、西村家はみんな「それで済んでよかったね~」という反応だったんですよ。

 こういう解釈の仕方ができると、世の中はわりとラクに生きられるようになります。物事の悪い面を見るだけではなく、瞬時に良い面に切り替える。そういうスキルがあってもよいと思うのですが、みなさんはどうなんでしょうか?

ひろゆき
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、34万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。