現在、日本中で大ブレイク中のひろゆき氏。
彼の「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語った『1%の努力』は、34万部を超えるベストセラーになっている。
この記事では、ひろゆき氏にさらに気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)
「無敵の人」の存在
日本は自殺の多い国だと言われてきました。お金がなくて飢えで死ぬような国ではなくなったのに、社会やコミュニティから追い出されて行き場を失い、自ら死を選んでしまう人が毎年一定数います。
何か守るものがあるとき、人は死を選ぶようなことはしません。ただ、それを失ってしまうと、途端に孤独な状態になってしまうんですよね。それは、どんな人にも平等に訪れる可能性があると思います。
そして、守るべきものがなくなってしまった人は、ある意味「無敵」な状態になってしまいます。そんな「無敵の人」が起こす事件が目立つようになってしまいました。
「どうせ死ぬのなら」と考えてしまう人
どうせ死ぬのなら、自分を受け入れなかった社会に嫌がらせをしてから死んだほうがいい。そんな道を選ぶような人たちがいます。
アメリカのような自己責任社会では、わりと多く起こりがちだったのですが、日本でもそのような事件が目立つようになりました。
その背景には、さまざまな要因があると思います。日本の景気が悪くなり、なかなかいい仕事に就けなかったり。ネット内で悪いことをした人がヒーロー扱いされることがあったり。そもそも日本には死刑制度があるので「死刑にされるために事件を起こす」という言い分が成立してしまうことがあったり……。
自分さえ幸せになれれば、他人は不幸になっていい。そう考える個人が増えると、より社会からハミ出してしまう人を多く生み出してしまいます。
まずは弱者を認めよう
そうならないためには、たとえば生活保護をもらっているような「社会的弱者」がいることを、まずは認めることです。社会的にもそうですし、身近な友人や家族にそういう人がいても、ちゃんと受け入れましょう。
「あいつらは税金をもらって暮らしているんだ」と蔑むような目線は、あってはならないことです。そんなことを言ったら、政治家も公務員も、税金から給料をもらう存在です。
どんな形であれ、人間は社会に属しているわけです。弱者であっても消費をしたり誰かの支えになっていることもあります。動物を飼って育てていたり、ちょっとしたボランティアをしているかもしれません。そこに優劣はありません。
もし、「あいつは不幸でもいい」と切り捨てるのであれば、「もう死んでもいい」と考える人から報復されて誰かが殺されてしまうリスクも引き受けるでしょうか。たぶん違うと思います。
見て見ぬ振りでさえ、よくない
学校や会社で「いじめ」を見て見ぬ振りをするような場面があると思います。それだって、「いじめられている人も悪いんだ」と思ってしまうと、その人を社会から追い出すことになってしまいます。
そうして見て見ぬ振りしたことが、今度は、社会に対してキバを向けられることにつながります。
学校や会社で求められるような評価を出さなくても、何か他に居場所が見つかるなら、そこで生きられるようにすべきです。そういうメッセージを伝えていったほうが社会にとっては良いことです。
また、悪いことが褒められる文化もなくしていったほうがいいでしょう。たとえば、炎上系YouTuberが賞賛されることがありますが、迷惑をかけることによる承認欲求を許してはいけない
そのためには、「よくないことはよくない」とハッキリ言うことです。見て見ぬ振りではなく、意思を伝えるのです。
そうやって、悪いことをやったもの勝ちにしないようにするのが、今日から私たちができることなんだと思います。
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、34万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。