プロの翻訳者が参入できない
低すぎる入札価格

 誰でも閲覧できるS県の入札サイトに「令和3年度新型コロナウィルス感染症関連情報翻訳業務委託(単価契約)」(2021年5月20日)の入札結果が掲載されていた。その落札価格は123万2000円だ。一見、少なくない金額ではあるが、その仕事の詳細を見ると、以下のようになっていた。

1. 感染症関連情報翻訳業務(日本語→英語)   80頁
2. 感染症関連情報翻訳業務(日本語→ポルトガル語) 80頁
3. 感染症関連情報翻訳業務(日本語→中国語)   80頁
4. 感染症関連情報翻訳業務(日本語→ベトナム語)   80頁
5. 感染症関連情報翻訳業務(日本語→韓国語)   80頁
6. 感染症関連情報翻訳業務(日本語→タガログ語)   80頁
7. 感染症関連情報翻訳業務(日本語→スペイン語)   80頁
8. 感染症関連情報翻訳業務(日本語→インドネシア語)80頁
※納品は発注から7日以内

 つまり、80ページの日本語原稿を8言語に翻訳するという内容で、納品は全部で640ページとなる。単純計算で1ページ1925円だ。日本語原稿1ページ400文字と仮定して1文字4.8円の計算となる。この金額は通常プロの翻訳業務に携わっている者から見ると、驚くほど安い。

 翻訳の料金は、普段の生活にはあまり関係がない人が多いのでイメージが湧かないかもしれないが、翻訳者が拘束される時間を考えてみてほしい。80ページの原稿を熟読し、それをさらに多言語文字で文章を書き起こす作業は、非常に手間がかかる仕事である。さらに翻訳しづらい文章や専門用語が並ぶと、間違いなく最低時給を下回る仕事になるだろう。

 産業翻訳に関わる個人や団体が集まる一般社団法人日本翻訳連盟のサイト(https://www.jtf.jp/tips/price)には、日本語を英語に翻訳する際の翻訳金額の目安が掲載されている。

 以下の図版にあるように、医学・医療・薬学の場合、1文字30円だ(2017年2月現在)。1ページ400文字の場合、1万2000円(税抜き)となる。先ほどの入札金額(1ページ1925円)と比較すると、6倍以上も違う。

プロ翻訳者の給与、低すぎ!間違いだらけの多言語サイトで危ぶまれる翻訳の未来翻訳会社が外注先のフリーランスや翻訳者が新しい取引先を開拓するために開設されたプロの翻訳者が利用するサイト「翻訳者ディレクトリ」(https://www.translator.jp)が、社団法人日本翻訳連盟の「翻訳料金の目安」をもとに掲示している料金の文字単価を表にしたものを参考に、筆者作成
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 また、この医療のように正しく伝えなければ命に関わる分野では、翻訳後にその言語のネイティブスピーカーに内容確認(ネイティブ・チェック)をしてもらう必要がある。もし、そのチェック体制にかかる費用までが先ほどの入札の料金に含まれているのであれば、翻訳者1人当たりへの支払いはさらに低くなる。

 英文翻訳を30年以上続けるプロのYさんは「施設名や固有名詞など、そのまま日本語で良いのか、それとも英語で言い換えるのか判断が難しい。読み手のことを考えると、調べものに多大な時間がかかります。例えば、コロナワクチンの接種券をクーポン券と表記したりしていますが、“これは英語圏では一般的な呼び方か?”など、一つ一つ調べていくのです。昨今新しい表現が増えているので、ベテラン翻訳者でも、ネイティブに確認しないと判断できないものは意外に多いんです」と言う。

 この入札金額では、ネイティブチェックと全体の校正作業にかかる費用まではまかなえないそうだ。