NHKの「ニュースウォッチ9」で取り上げられ、「アフターコロナ」の思考・行動様式を予言した書として再び話題になっている、山口周氏の著書『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』。コロナによるパンデミックでこれまでの価値観が通用しなくなっている今、新しい時代への転換を担えるニュータイプ人材がますます求められている。果たして今、どんな変化が起きているのか。20世紀的なオールドタイプの考え方はなぜ問題を根本から解決できないのか。私たちが今、アップデートすべきことについて、同書から一部を抜粋して、特別公開する。
皆さんに考えていただきたい質問があります。それは、
「人類がスペースコロニーに移住するとしたら、日本の文化遺産の中から、何を持っていきたいと思いますか?」
という質問です。
私はこの質問を、小学校での講演、大学の講義、企業人が集まるワークショップなど、さまざまな場所で参加者に投げかけているのですが、答えの傾向はいつも同じです。すなわち、回答としてあげられるモノの8~9割が、18世紀以前に作られたものだということです。
私たちは20世紀を通じて、生産性の爆発的な向上を達成したと、一般的には言われています。しかし、その向上した生産性によって生み出されたモノは、必ずしも私たちが未来の人類に対して譲り渡していきたいと思えるようなものではない、ということです。
これは一体、どういうことなのでしょうか? 18世紀以前の社会と現代の社会を生産性という観点で比較してみましょう。
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー
電通、BCGなどで戦略策定、文化政策、組織開発等に従事。著書に『ニュータイプの時代』『ビジネスの未来』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。株式会社中川政七商店社外取締役、株式会社モバイルファクトリー社外取締役。
まず、労働力について確認すれば、江戸時代の人口が、最盛期の元禄時代でも3000万人程度だったのに対して、現在の日本の人口は1億2000万人、つまり4倍となっています。
さらに指摘すれば、江戸時代の人々の一般的な労働時間が1日3~4時間程度であったのに対して、現在の日本人はおおむね7~8時間、つまり倍の時間を働いています。しかも、多くの人が心身を耗弱させるようにして働いており、仕事を苦にして心を病んでしまう、果ては自死してしまう人が後を絶ちません。
つまり、人口が4倍、労働時間が倍ということで、トータルで8倍の労働量を投入している上に、高いレベルの精神的負荷にも苛まれているということです。
さらに消費エネルギーという点については、江戸時代の石油資源消費量がゼロであるのに対して、現在の日本では一人当たり年間で10キロカロリーの石油資源を消費しています。
また環境への負荷という点については、江戸時代が完全な循環型のサスティナブル社会であったのに対して、現在は地球温暖化がのっぴきならない問題として眼前に迫っており、また半世紀前にも水俣病やイタイイタイ病などのさまざまな公害が各地で大きな悲劇を巻き起こしました。
このように考えていくと、私たちが経済学や歴史の教科書で学んだ「生産性の向上」というのは、いったい何だったのか? と考えこまざるを得ません。
膨大な人的資源を投入し、鉱物や石油などの地球資源を蕩尽するようにして生み出した「生産物」の多くについて、私たちはそれらを子孫に対してぜひとも残していくべきだとは考えていない、ということです。
子孫に対して残さなくてもいいモノ、私たちの代で処分してしまっていいモノ、つまり「ゴミ」ということです。
これだけの労働量と資源を投入して、私たちはせっせと「ゴミ」を生み出し続けているのです。
人間は意味を食べて生きる生き物ですが、ゴミを作り、売ることに意味は見出せません。意味のないことをやらされた人間は必ず壊れてしまいます。日本をはじめとした先進諸国において精神を病む人がここまで増えているのは、多くの人が「ゴミを作り、売る」ということに対して「意味」を見いだせていないからでしょう。
現在、テクノロジーの進化はいよいよその勢いを高めており、表面的な意味での、いわゆる「生産性」は、今後も高まっていくことになるのでしょう。
ここで問題になるのは、それを使う人間の側の「ヒューマニティ」がまったく進化していない、むしろ趨勢としては100年前に比べて退化しているという点です。
テクノロジーがより大きな力を持つようになる一方で、それを使いこなす側の私たちはむしろ退化しているのです。このような状況が続けば、私たちは過去の100年にわたって繰り返し行ってきた愚行をさらに加速させ、より高い「生産性」でもって壮大なゴミを生み出し続けることになるでしょう。
何が問題なのでしょうか。資本主義というシステムに根本的な問題があると指摘する人もいます。確かに資本主義というシステムがこの状況を生み出すことに大きく寄与していることは間違いありません。
しかし、『ニュータイプの時代』で指摘した通り、筆者としては、これを全否定したところで仕方がないだろうと考えています。
このような考え方、つまり「これがダメだからアレに変えよう」という「オルタナティブ」の考え方は、対象となるシステムに悪化の真因を求め、それを別のシステムに切り替えることで解決しようという20世紀的オールドタイプの考え方で、大変安易で手軽ではありますが、結局は問題の根本を解決できません。
現在の私たちが直面している状況を「システムの問題」として処理することはできません。結局のところ、システムをどのようなものに変えたとしても、その中で働く人々の意識が変わらなければ、この状況が変わることはないのです。
もし、私たちの社会が、その膨大な労力に見合わない程度の不毛な成果しか生み出せていないのであれば、それはとりもなおさず、その中で働いている私たちが、そのことに対してあまりにも無自覚であり無批判であったからだという事実を、まずは眼前に据えることがすべての前提となります。
2019年5月1日、平成から令和へと改元されました。時代はどのようにして変化していくのか、という問いに対して、歴史家・美術史家であるエルンスト・ゴンブリッチは15世紀に発生したルネサンスを例にとって次のように言っています。
ゴンブリッチによれば「新しい時代への転換」は、オールドタイプがかつて目指したような「ファンファーレを伴ったシステムのリプレース」によってなされるのではなく、誰もが気づかないうちに「人間の見方」が変わることで起きます。
人それぞれの思考・行動様式が、オールドタイプのそれからニュータイプのそれへと変換することで、新しい時代への転換が起きる、というのがゴンブリッチの指摘です。
私たちが今、時代の転換期にあるのだとすれば、私たちの「人間の見方」もまた、静かにアップデートされることになるのでしょう。
願わくは、読者の皆さんには、『ニュータイプの時代』をたたき台として、自分なりの「新しい時代の要件=ニュータイプ」について考えていただき、20世紀的な価値観や労働観に縛られない、しなやかで自由な、新しい人生のあり方を実践していただければと思います。
(本原稿は『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』山口周著、ダイヤモンド社からの抜粋記事です)