『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が20万部を突破! 本書には東京大学教授の柳川範之氏「著者の知識が圧倒的」独立研究者の山口周氏「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せ、ビジネスマンから大学生まで多くの人がSNSで勉強法を公開するなど、話題になっています。
この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

「図書館で読書とか、真面目かよ笑笑」と学びをバカにしてくる人の行動原理Photo: Adobe Stock

[質問]
 図書館に対する偏見を直す方法などをどのように考えていらっしゃるかご教授ください

 高校1年生です。私は読書が好きで色々な学問の本をかじっては、注釈なしの唐突な専門用語などにやられ、挫折しています。

 大変怠惰な質問なのは承知の上ですが、高校生でも難しい言葉抜きに興味を持つことが出来る学問や本はありますか?

 また、私はよく図書館に行き作業や読書をするのですが、周りは、「図書館で読書とか、真面目かよ笑笑」や、「図書館とか本当に行く人いるん?」みたいな反応しかしてきません。別に褒めて欲しいわけでもありません。ただ、図書館に行きもしないくせに偏見や反論を言うのは人の悪い性だと思います。図書館に対するこういった偏見を直す方法などをどのように考えていらっしゃるかご教授ください。

何かを知ることとは、自分の「偏見」を吹っ飛ばされることです

[読書猿の回答]
 問1:もちろん。どの学問にも、注釈なしに唐突に専門用語を持ち出したりしないちゃんとした書物はたくさんあります。
 問2:他人の偏見は基本的には直せません。

 問1について。
 まず様々な学問の専門家が書いた中高生向けの書物があります。シリーズで言えば岩波ジュニア新書やちくまプリマー新書がそうです。

 興味が膨らんだら、一般向けの新書から大学生向けの教科書もおすすめです。かなり易しく噛み砕き、専門知識なしで読めるものでないと、近頃は読者に買ってもらえないので、最近の新書/教科書なら苦労することは少ないでしょう。

 一番いいのは、せっかく図書館へ通っておられるのですから、挫折した本をもってレファレンス・カウンターへ行って相談することです。「この本に挑戦してみたのですが、注釈なしで専門用語がいきなり出てきて挫折しました。どんな本を読んだらいいですか?」と相談すると、役に立つアドバイスがもらえるでしょう。

 問2について。
 基本的に他人の偏見は直せない理由は、いろいろありますが、まとめて言うと、他人はあなたではないからです。

 外から見ると、偏見を持った人たちは無知ゆえにそうした偏見に囚われているように見えます。

 今回の場合でいうと、「図書館で読書とか、真面目かよ笑笑」や「図書館とか本当に行く人いるん?」という人は、図書館へあまり行ったことがなく図書館のことをよく知らないから、図書館について偏見を持っているように感じるかもしれません。

 しかし実は、偏見と無知の関係はもう少し込み入っています。多くの場合、偏見と無知は、無自覚な行為の繰り返しによって、そうした行為による不断の修復によって、支えられているのです。

 たとえば、誰かが図書館へ行こう行くまいと、他の人にはほとんど影響はありません。あなたが図書館へ足繁く通おうと、それにわざわざ「図書館で読書とか、真面目かよ笑笑」「図書館とか本当に行く人いるん?」のような否定的な言葉を投げかける理由はありません。

 しかしその人達はそう口にせざるを得ませんでした。何故か。そうしないと、彼らの世界観=偏見が傷ついてしまうからです。

「図書館で読書とか、真面目かよ笑笑」や「図書館とか本当に行く人いるん?」という発言は、彼らの世界観=偏見を修復するために発せられています。

 こうした言葉にあなたが怖気づき、「そ、そうだよね。いや、親に無理やり行けといわれてさ」などと言い訳していれば、彼らは元の世界観=偏見に安住することができたでしょう。

「図書館で読書とか、真面目かよ笑笑」や「図書館とか本当に行く人いるん?」という人たちは、勉強を大人が敷いたレールの上をお行儀よく進むことであり、本を読むこともそんな「お勉強」の一種であると思っているかもしれません。

 そうした偏見こそ、その人達の精神と人生を閉じ込めてしまう檻となることがあるとも知らず。

 あなたは既にその一端をご存じだと思いますが、何かを知ることは、自分が知らず知らずのうちに抱えている世界観=偏見の一部を壊して作り変えることです。世界が、自分がそれまでぼんやりと思い描いていたようなものではないと思い知ることです。

 図書館は、そのための施設です。

 そこには書物やその他様々な情報源の形で、たくさんの世界観=偏見がひしめき合っています。

 自分に合った世界観=偏見ばかりを選んで読むこともできなくはありません。

 自分の世界観=偏見を揺るがせに来た書物と出会っても、急いでページを閉じて、返却棚へ返せばいい。

 けれども、いつもそうできるわけではありません。どんなに周到に避け続けても、世界観=偏見の一部を吹っ飛ばされる時が来ます。

 書物を読むこととは、そして何かを知ることとは、そうしたことなのです。