「部下や後輩に仕事を教えてやれ!」――上司からこんなことを命じられたら、あなただったらどうするだろうか。 結論からいえば、絶対に全てを教えてはいけない。あくまで、教えるフリをするだけでいい。
今回は、上司の魂胆を見抜くことができずに、誠実に部下を育てていった管理職の行き着く先を紹介する。この管理職がみじめな「負け組」となった理由とは――。
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■今回の主人公
佐藤秀雄(仮名、48歳男性)
勤務先:都内に本社を構える中堅半導体商社。従業員数600人。創業50年を超えるが、90年代後半からは売上は伸び悩んでいる。最近は、子会社への出向・転籍もしだいに増え、リストラに近い状態になりつつある。
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(※この記事は、取材した情報をプライバシー保護の観点から、一部デフォルメして執筆しています)
「出向」から「転籍」へ
「もう疲れたよ。今日は、都内のホテルで泊まるから……」
佐藤秀雄(仮名、48歳)は横浜の自宅に電話を入れた後、宿泊先のホテルで考え込んだ。ひとりでここ数年に起きたことを冷静に振り返りたい、と思ったのだ。
今日、直属上司と人事担当役員との3者面談が行われた。前々からうすうす感じていたが、やはり、いま出向している子会社に「転籍」することが決まった。「転籍」後は、年収はいまより3割近く減ることになる。
本来、「転籍」には、その社員の同意が必要である。しかし、佐藤にはそれを断り、親会社に戻って働く気力がもうなかった。いまは、虚脱感のほうが強い。
佐藤は3年半前、この会社に「出向」した。それ以前は、親会社の営業部に15年程籍を置いてきた。取引先である大手メーカーから、半導体の部品を受注することが主な仕事だった。営業成績は、一時期は伸び悩むことがあったが、おおむねよかった。同期生12人の中では、3番目に早く課長に昇格した。佐藤自身も、「役員はともかく、部長にはなれるだろう」と思い込んでいた。
その考えは、甘かった。課長になった直後に仕えた上司(部長)とは、機会あるごとに意見がぶつかった。特に、営業の進め方について、大きな隔たりがあった。会議の席で、部下たちの前で口論になったこともある。
これまで、東京本社を皮切りに、高崎(群馬県)、金沢(石川県)、名古屋(愛知県)などの支社にも勤務してきたが、これほど意見が食い違う上司はいなかった。佐藤はやがて、自分のまわりで何かが動いている気がしていた…。
水面下で進む「包囲網」
ある日、部長が佐藤に命じた。「後輩の森田を育ててやってくれ!」
森田とは、2歳年下の営業マンである。役職は課長補佐。佐藤には、この指示が理解できなかった。