「なぜ自分は、こんなことをやっているのだろう。しんどいな」と嫌々ながらやっているか。

それとも、「この遊園地に来たくてやっと来られたんだ。スリリングで楽しい!」と、喜々として遊んでいるか。

どちらが楽しいでしょうか? あなたもきっと想像できるでしょう。

たとえば、自分で望んで遊園地に来た人は、華やかなパレードを見て喜び、アトラクションを思いきり味わい尽くしますね。

しかし、無理やり連れてこられたと思っている人は、うつむいて地面ばかり見ているのでパレードにも気づけず、一刻も早く帰りたいと文句ばかり言うことでしょう。

遊園地は奇妙にも見えるさまざまなキャラクターや大きな音のするアトラクションだらけです。刺激が強いので、そこが遊園地だとわかっていない人には何を見ても怖いだけかもしれません。

自分が望んで来たことがわかれば、「ジェットコースターは飽きたからメリーゴーランドに乗り換えよう」と選び直すこともできますし、「ちょっとのどが渇いたな」と休憩することもできます。

そのようにひとつの考え方や生き方にとらわれず、自由に人生を進んでいけるようになるのです。

そうすると余裕が出てくるので、視界が広がり、何があってもドンと受けとめて、自分なりに人生を味わえるようになります。

自分で選んできたと気づけば、実生活で見える景色も違ってきます。

実際に見ている風景(現実)は同じでも、受け取り方が違ってくるのです。

たとえば、今は数十メートルの高さから猛スピードで落下する絶叫マシンに乗って恐怖で叫んだり、次は同じ落差を観覧車に乗ってまわりの景色をゆっくり見ながら降りていったり、それぞれの状況を楽しめるのです。