明日の会議がオンラインであることに疑問を呈する人などもはやいなくなって久しい世界でご機嫌いかがでしょうか。すべてがオンラインで済むならばなぜコロナ前のわたしたちはわざわざ自分の体を持って人に会いに行ってたんでしょうか。たしかに会わなくていい人もいた。でもどうしても会いたい人もいる。なぜなんですかね。人と会って話すという意味での「会話」を根本から問い直す『会って、話すこと。』という本があります。この本の中で著者の田中泰延さんは、「オンラインに決定的に欠けているもの」に思い至ります。今日のオンライン会議の前に、ぜひどうぞ。(構成:編集部/今野良介)

人間は他人を区別している

先日、オンラインでセミナーに参加していたら、講師が驚くべきことを言った。

「世の中、オンライン時代です。今日もみなさんこうしてパソコンを通じて話し合っています。でも、結局【絶対に会って話をしないとまずい】という人には、なんとしてでも会っていませんか。つまり、オンライン時代というのは、人間が他人を区別していることがはっきりした時代なんですよ

そんなことをオンラインで言われてもドキッとしてしまうが、zoom、Skype、Facebook Messenger、Google Meet、Microsoft Teamsなど、世界を疫病が覆って以来わたしたちの会話はデジタルになった。

拙著『会って、話すこと。』も社会情勢に鑑みて編集者の今野良介とオンラインで対話を試みた部分もあるが、気心が知れた仲でもなかなかに難しかった。気心が知れていない可能性もある。

オンラインのダメさというのは、「身体がない」ということに尽きる。

オンライン会議に決定的に欠けている「人間にとって一番大切なこと」尽きる。

リアルでは、向かい合う人が時間と空間を共有し、目線、表情、反応、間合い、タイミング、チャチャ入れ、ヤジ、無駄話、そういうものがタイムラグなしの情報として存在し、わたしたちはリアルタイムでそれに反応する。

それに対してオンライン会議では、そもそもなにかの「アジェンダ」を進行・解決する場として設けられることが多く、上記のように臨機応変に話が変化していくのではなく、「もはや異論のないこと」を確認する場になりがちだ。会って顔を見て頼み込みたいことも人間にはあるが、オンラインではやりにくい。

そんなタイムラグやコミュニケーションにロスのある環境では「ボケること」は非常に難しい。ちょっとした冗談を挟もうとして、聞き取りにくくてもう一度言わされるのはつらい。

また、なぜかオンラインでは「自分の顔」を画面に表示する設定が基本になっている場合が多い。有史以来、人間が自分の顔を見ながら他人に話しかけることがあっただろうか。それもまた、妙な自意識につながって、話しにくい原因のひとつだ。かといって相手の顔だけ表示する設定にすると、オンラインでは意外と不安になる。

また自宅からのオンライン参加だと、画面に写っている範囲だけちゃんとしていればいいので、上半身はちゃんとしていても、下半身は寝間着だか部屋着だかわからないものを着ていることも多い。面従腹背という言葉があるが、これでは上半身従下半身背だ。自分で何言ってるかわからない。

コミュニケーションで生じる感覚が、だいぶ違うのである。

それは電子書籍と、手触りを感じながら自分でめくる紙の本の違いと似ているかもしれない。『会って、話すこと。』を電子書籍で読んでくださった人もいるかもしれないが、できれば紙の本も買って違いを確かめてみるといい。もちろん、紙の本で読んでくださった人は、電子書籍との違いを確かめてみるといい。どちらも読んでない人はこの際どちらもお買い求めください。

わたしが書いた本の題名は、『会って、話すこと。』である。人は、人と会いたい。人間は、対面したときに生じる「自分と相手の間に生まれる何か」を感じたいのである。