今の仕事環境を評価するとき、何を基準に考えますか。収入、福利厚生、自由度、職務内容、自己実現、経営陣の人格…いろいろあるけど「環境の良さ」は外せない。「良さ」の基準は人それぞれですが、良くない職場環境の代表は「不機嫌な人が多い」ではないでしょうか。
人間が幸せになる会話を根本から問い直す『会って、話すこと。』という本があります。この本の中で著者の田中泰延さんは「機嫌良く生きることの大切さ」についてわざわざ1項目を割きました。話は、幼少期の強烈な原体験から始まります。今の職場環境、そして次の場所を考える際のご参考に。(構成:編集部/今野良介)

鼻血が出るまで殴られた

わたしには「機嫌よく生きる大切さ」について忘れられない強烈な原体験がある。

小学生の時だった。夏休み直前の真夏の日、小学校には校庭に整列させられ、校長先生や教頭先生の話を聞かされる全校朝礼というものが必ずある。

太陽が照りつけるなか長く続いた朝礼で、わたしは熱中症に陥ったのか、立っていることができなくなった。

こらえきれず、担任に「保健室へ行かせてください」と告げた。

すると担任は「みんなつらいのだ。お前だけではない」と言った。

わたしが「みんな……先生、僕以外のことは、僕には関係ないです」と答えたところ、おどろくべきことに鼻血が出るまで殴られたのだ。昭和50年代の公立小学校では体罰は普通だった。

わたしは気づいた。この先生が不機嫌なのは、この人が暑さに耐えているからだと。

「みんな」も不機嫌、担任も不機嫌、おそらく炎天下で訓示を垂れている高齢の校長先生も不機嫌なのだ。「不機嫌」は伝染する。わたしは、先生は偉い、先生も耐えているのだから、僕も頑張って耐えよう、とはまったく思えなかった。わたしと担任、ましてやその他の「みんな」の肉体は、別のものである。

その時、わたしのなかに、ある決まりができた。

「皆が不機嫌な状況に陥ったら、せめて自分一人でもさっさと立ち去る」ことである。

その後、社会人になったわたしは、ありとあらゆる形の「不機嫌の伝染」を目の当たりにした。

満員電車。理不尽な命令。不本意な残業。

どこで働いても不機嫌のタネは尽きることがない。そしてその不機嫌は上司から部下へ、そして職場全体に蔓延する

わたしは社会人生活でも、「皆が不機嫌な時は、自分一人でさっさと立ち去る」という方針を貫いてきた。

苦しい職場、それは「不機嫌な人が多い」とこ。詰んでます。立ち去ろう。

『会って、話すこと。』は会話の本だが、職場を離れた会話でも同じことが起こる。ひとり不機嫌な人がいて不満や愚痴や、怒りを表明すると、たちまちそれは全体に伝染する。

会話に不機嫌病が蔓延し始めたら、自分をさっさと隔離しよう。笑い話にしてしまう、話題を変える、最後は物理的にその場を立ち去る。手段はいくつかある。

なにより、あなたが機嫌よくしていれば、あなたにとっての世界は機嫌がよいのだ。

あなたができる最も身近な社会貢献とは、よい言葉とよい笑顔である。

だれかが言った。「不機嫌で人を動かすのは、赤ん坊。ご機嫌で人を動かすのが、おとなである」と。

おとなが口を開くのは、自分の機嫌をよくするためで、それは他人の機嫌もよくする。それこそが社会貢献なのだ。