「知らんけど」。東京でお過ごしの皆さまも、この言葉を聞く機会は多いだろう。無責任発言の象徴のように思われている節すらある。ところがどっこいである。よっこい庄一である。餅は餅屋である。関西弁の真髄は関西人に語ってもらおう。2021年、予定調和的な、アルゴリズム最適化的な、人を思い通りに動かそうとする狭苦しい会話テクニックではなく、人と人が幸せになるコミュニケーションを『会って、話すこと。』という本で提唱した生粋の関西人・田中泰延氏が、「知らんけど」の真の効用を伝える。ぜひ活用されたい。(構成:編集部/今野良介)

「きみ、だれやねん。」

人間はどうしても意見を求められたり、なにかについて見解を発表しなければならない局面がある。

それは往々にして独善的な断言になったり、議論に発展してしまう場合がある。

そんなときに活用して欲しいのが「知らんけど」である。

「異常気象の理由? 太陽の黒点反応が活発になってるからちゃうの? 知らんけど」

「なんで不況かわかるか? 円高で輸出産業が打撃を受けてるからや。知らんけど」

「知らんけど」は、関西人がよく使う終止形である。

これは、自己の発言に対する責任逃れではない。

むしろ非常に自覚的で責任のある姿勢なのだ。

前者は、自分が天文学者かどうか考えてみるといい。後者は、自分は経済評論家かどうか思い出してみるといい。

とりあえず自分の知っているかぎりの情報を総合してわかったような結論を述べてはみたが、実際のところはよく知らない。「知らんけど」は、そんな自分を客観的に捉えて立場を表明する言葉である。

人間の知性とは、知っていることをひけらかすことではない。むしろ、何を知らないかを自覚した「無知の知」こそ賢者の姿勢といえるだろう。

「知らんけど」の絶大効果。大阪ひと筋50年ベストセラーライター堂々語る田中泰延氏のある日のツイート。『会って、話すこと。』には、「知られざる大阪弁の効用」が満載だ。

たいして知りもしないのに、専門外の分野について他人にご高説を垂れる行為は、SNS時代になって特に顕著になった。

生半可な知識を振り回さず、あまり知らない自分を、正直に相手に差し出そう。

この「知らんけど」は、わかったようなことを言ってしまった時だけではなく、ボケをかました時の終止形にも使える万能な言葉である。知らんけど。