写真:ベラルーシのルカシェンコ大統領,ロシアのプーチン大統領ベラルーシのルカシェンコ大統領(左)とロシアのプーチン大統領(右) Photo:Anadolu Agency/gettyimages

2月24日、ロシアは本格的な軍事侵攻を開始した。昨年から軍事演習などの名目でウクライナ国境(ベラルーシ国内も含む)近くにロシア軍部隊を集結させ、最大で19万人規模とされるロシア軍が軍事侵攻を開始すればウクライナのゼレンスキー政権は瞬く間に崩壊するというのが大方の味方であった。しかし、欧米諸国からの武器提供を受けたウクライナ軍と武器を手にした市民は徹底抗戦を続け、ウクライナ国防省が3月1日に発表した数字では、すでに5710人のロシア兵が戦死し、198台の戦車や846台の輸送車両がすでに破壊されたことが判明している。大方の予想を裏切る結果が続くウクライナとロシア。クリミアのロシアへの併合から間もなく8年を迎えるが、その間にウクライナとロシア、そしてベラルーシでは何が変わったのだろうか。(ジャーナリスト 仲野博文)

マイダン革命後の8年間で
民主化が進んだウクライナ

 2014年2月、ウクライナでは前年から続いていたマイダン革命によって、ロシア寄りのヤヌコビッチ政権が崩壊。ウクライナ最高議会が2月22日にヤヌコビッチ氏の大統領職からの解任を決議すると、ヤヌコビッチ氏は首都のキエフを脱出。そのままロシアに亡命した。

 翌日の23日にはオレクサンドル・トゥルチノフ氏が大統領代行に選出され、同年6月まで大統領職を務めた。その間にウクライナでは大統領選挙が実施され、チョコレート会社の成功で財を成し、10億ドル以上の資産を持つオリガルヒ(新興財閥)として知られたペトロ・ポロシェンコ氏が当選を果たした。

 だが、2期目を狙ったポロシェンコ氏は2019年に行われた大統領選挙で、政治経験はないもののコメディ俳優として全国的な知名度があったウォロディミル・ゼレンスキー候補に敗北。ヤヌコビッチ政権崩壊後のウクライナでは、3人の大統領が国のかじ取り役を担ってきた。

 ロシアとの緊張関係が続いた8年。その間に誕生した3人の大統領によって、ウクライナはどのように変わったのだろうか。