「プーチンのウクライナ侵攻はドイツがメルケル首相だったら防げた」という論調が一部にある。2021年12月に政界を引退したメルケル氏は、ロシアとウクライナの関係を安定させる「ミンスク合意」の生みの親だから、というのがその根拠だ。他方、長期に渡ったメルケル政権は終盤、地方選挙で苦戦が続いた。ドイツでは極右、ポピュリズム政党が伸長するなど政治が不安定化。同様のトレンドが欧州に広まった。18年11月当時の「EUの迷走」を再録する。
2017年までは欧州の重しの役割を果たしてきたドイツだが、ここ最近、メルケル政権の求心力低下が著しい。
18年10月14日のバイエルン州選挙。連邦レベルでの与党であり、メルケル首相率いるCDU(キリスト教民主同盟)の姉妹政党であるバイエルン州の地域政党CSU(キリスト教社会同盟)が第1党を維持したものの大敗し、過半数を割り込んだ。代わりに緑の党と反移民の極右政党であるAfD(ドイツのための選択肢)が躍進した。
10月28日には、フランクフルトを中心都市とするヘッセン州で選挙が行われる。この選挙でもCSUが苦戦し議席を減らすことになれば、メルケル首相の求心力低下に拍車が掛かるだろう。12月開催のCDUの党大会において、メルケル首相の党首交代を求める声が大きくなる公算は十分にある。