ひろゆきが語る「『こんな私でもできた』は他者を苦しめる言葉だ」そのワケとは?ひろゆき氏(撮影:榊智朗)

現在、日本中で大ブレイク中のひろゆき氏。
彼の代表作『1%の努力』では、「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語っている。この記事では、ひろゆき氏にさらに気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)

成功者の「アドバイス」は必要?

 成功した人は、よく「アドバイス」を求められます。

 東大に受かった人は、「どうやったら東大に受かるの?」と聞かれます。

 オリンピックで金メダルを取った人は、「どうやったらメダルが取れるの?」と聞かれます。

 成功者は、つねにアドバイスを言う立場にあり、それによって凡人は「ヒント」や「習慣」を学び取ろうとします。

 この関係性は、別に否定しません。

 ただ、中には「他者を苦しめてしまう言葉」もあると思っているので、それについて語っていきましょう。

あなたは「特別」です

 成功した人は、自分のことを「天才」だと認めません。

 凡人である自分が「努力」によって道を切り拓いたのだと思い込んでいます。

 まあ、そういった要素もたしかにあるでしょう。

 ただ、もうちょっと「私は特別です」ということを正直に伝えてもいいんじゃないかなと思うんです。

 東大生であれば、「親から教育費を惜しみなく投資してもらった」とか、金メダリストなら「体の作りが違うんですよね」とか。

 そういった現実を突きつける言葉も必要だと思います。なぜなら、現実は残酷だから(笑)。

 それに、凡人にとっても、「あの人は特別なんだな」と思えるほうが気が楽になります。

「救いのない言葉」とは?

 逆に、他者を苦しめる言葉とはなんでしょう。

 それは、「こんな私にもできた」という言葉です。

 謙虚な人は言いがちなのですが、これは「できない人」を追い詰めてしまいます。

「こんな私にもできた」の裏側には、「こんなことすらもできないの?」というメッセージが透けて見えます。

 本人は励ましているつもりでも、言われた人は「救い」がないのです。

 ということで、もっと成功者は「他の人にはマネできません!」と、堂々としてほしいなと思っています。自分基準で生きるのは勝手ですが、それを相手に押し付けるのは、かなり迷惑だと思うんですが、みなさんはどう思いますか?

ひろゆき
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。著書に、44万部を突破したベストセラー『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。