これは、少し前から耳にするようになった“ぶりっ子男子”という言葉にむずがゆさを感じる昭和男の筆者が、その違和感を言語化してみる試みである。すると、「現代のぶりっ子男子」たちにも「昭和男」と共通する点が見えてきた。(フリーライター 武藤弘樹)
令和に生まれた?“ぶりっ子男子”
きな臭く感じる昭和の男たち
“ぶりっ子男子”という男性のジャンルがあるらしい。数年前に登場した言葉のようで、昭和の男性なら胸のざわつきを禁じえないような、ちょっときな臭い響きを漂わせている。
昭和55(1980)年生まれの筆者は、濃くて男らしい男こそイケていると信じて育った。そのうち“草食系が良し”という風潮になってきて、「時代の流れなんだなあ」と理解するふうを装うくらいの余裕はあったが、矢継ぎ早に “ロールキャベツ男子”やら“クリーミー系男子”などが出てきて、こめかみに血管を浮き出たせた笑顔で「ふーん、すごいねえ」と見守っていたところ、ついには“ぶりっ子男子”である。
これは一体何事か。そもそも“男”を称するなら“男”あるいは“男性”、もっと言えば“オス”や“ますらお”などで十分だと思うが、わざわざ“男子”と称する風潮に違和感がある。
“ぶりっ子男子”とはいかなるものか。そして特に私と同世代の男性に向けて、我々は“ぶりっ子男子”なる事象とどのように向き合うべきかを、本稿を通じて考えたい。