千羽鶴カルチャーのせい?
「思い」を尊重しがちな日本の文化

 憲法9条が悪い、日本の外交力・発信力の弱さのせいだ、などいろいろなご意見があるだろうが、本質的なところでは、先日大きな論争に発展した“千羽鶴カルチャー”が大きいのではないかと筆者が考えている。

 ご存じのない方のために説明をすると、ある団体がウクライナに千羽鶴を送る計画を公表したところ、「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏(西村博之氏)が自身のTwitterでこんな問題提起をしたのである。

<千羽鶴とか『無駄な行為をして、良い事をした気分になるのは恥ずかしい事である。』というのをそろそろ理解してもらいたいと思ってるのは、おいらだけですかね?>(4月16日)

 これを受けて、「戦争で逃げ回っている人たちが千羽鶴もらっても困るだけ」「相手の立場に立って、お金を送るのが一番」と共感する声も多くあった。筆者も東日本大震災の時に、避難所へ物資を届けにいったことがあるが、千羽鶴が山積みで放置されていたのを見たことがある。被災者の方たちが「気持ちはありがたいけど正直、迷惑」と困惑していたのをよく覚えているので、ひろゆき氏の言わんとしていることはよくわかる。

 その一方で、ひろゆき氏の意見に異を唱える人たちもいた。ワイドショーのコメンテーターの中には、「お金を送れというが、お金のない人でも何かしてあげたいと思ってはいけないのか」とか「平和を祈る気持ちは尊いものなので、それを否定するのはいかがなものか」などと擁護する人たちもいた。

 わかりやすく言うと、これが“千羽鶴カルチャー”である。日本には相手が何を欲しがっているとか、どんなことに困っているとかよりも、自分たちの「思い」を尊重しがちな文化がある。「もらう側」ではなく、完全に「あげる側」の論理が強いのだ。

 そんな“千羽鶴カルチャー”こそが、日本の国際貢献がイマイチ相手に伝わらない理由のひとつではないか。