「オレやってやったよ!」
日本の支援がウクライナの印象に残らない理由

 例えば、今回のウクライナ支援を振り返ってみよう。防弾チョッキを送るのも、市販のドローンを送るのも、日本側からすればかなり頑張ったという自己評価だろうが、周辺のNATO加盟国はそれ以上の手厚い軍事支援をしてくれている。ロシア軍を最新兵器で駆逐したいと願うウクライナ政府の立場になれば、日本の支援は正直それほど印象に残らない。

 ロシアに経済制裁をして外交官を国外追放にしたのも、日本からすれば「西側諸国のみんな、見てくれた?オレやってやったよ!」とドヤ顔になるような英断だが、ロシアの天然ガス輸入禁止も議論されている欧州と比べるとどうしても霞んでしまう。

「あげる側」の達成感・満足感ばかりが重視されているので、「もらう側」にはイマイチありがたみが伝わらない。厳しいことを言わせていただくと、口では「ウクライナのため」と言いながら、「日本のため」になることしかしていない。もちろん、どんな国でもそういう側面はあるのだが、日本の場合はそれが露骨で出てしまい、バレバレなのだ。

 本来、日本がウクライナの人々の命を救うためにできることは、トルコのようにロシアとの「対話」を続けて、避難ルートを確保しながら戦争終結の道筋を模索することだった。西側諸国のように軍事支援が法律的に不可能なので、トルコのような「仲介」で貢献できたのである。

 しかし、日本は西側諸国にくっついてロシアを追い詰める方にまわる。

 もっともらしいことを言っているが、これは「保身」ということが大きい。中国とロシアの脅威に晒されている日本は、アメリカとNATO側にくっついて貢献と忠誠をアピールしておいた方が安心だ。軍事支援ができないくせに、軍事支援をするグループに入るという中途半端な立ち振る舞いは、すべて「日本のため」のポジショニングである。

 そんな「あげる」側の自己満足的な支援なので当然、「もらう側」であるウクライナの人々の心には刺さらない。ミサイル攻撃の恐怖におびえる人々が、千羽鶴を受け取っても「ありがとう」とならないのとまったく同じ構造である。