千羽鶴の国際社会での意味を再考すべき
送る相手をプーチン大統領に

 このような話をすると、「千羽鶴」を送ろうとした計画していた団体の方や、擁護をしている方たちはさぞ気を悪くされるだろう。ただ、筆者はこれまで述べた“千羽鶴カルチャー”というものは問題だと考えているが、ひろゆき氏のように千羽鶴自体を「無駄」とは考えていない。

 むしろ、皆さんがやろうとした、平和を願って千羽鶴を折って送るという行為自体は大賛成だ。しかし、送り先には賛同できない。今回、千羽鶴を送るべき相手は、ウクライナの人々ではなく、ロシアのプーチン大統領だからだ。

 東日本大震災でのイメージが広く伝わったことから、千羽鶴というのは「過酷な目にあった人たちへのエール」のような役割だと勘違いをしている人が多いが、実は国際社会では、千羽鶴はもともと「核兵器への抗議」という明確なメッセージがあった。

 千羽鶴は、1955年に原爆症で亡くなった佐々木禎子さんという12歳の少女が、自身の病の回復を願って死の直前まで鶴を折っていたことで「平和の象徴」として国際社会に広まった。広島平和記念公園にある「原爆の子の像」が金色の折り鶴を捧げているのは、禎子さんの逸話からだ。

 こういうルーツなので、「千羽鶴」は戦後、核開発競争にのめりこむ米ソを中心にさまざまな国で、「もうこんな悲劇を繰り返すのはやめましょう」というメッセージに用いられるようになった。

 例えば、1958年、禎子さんをモデルにした児童劇映画「千羽鶴」が制作された。実はこの作品には、原爆病院を撮影に訪れていたソ連の記録映画作家も飛び入り出演して、原爆症に苦しむ人々を助ける基金にカンパする姿がおさめられている。

 また、プーチン大統領がKGB(旧ソ連国家保安委員会)の諜報員として旧東ドイツに駐在していた1986年には、ソビエト連邦共産党中央委員会に付属する「世界の子供に平和を」委員会が、アンネ・フランクなどとともに佐々木禎子さんの名前を冠した「4人の少女記念賞」というものも制定した。

 千羽鶴が持つメッセージは80年を経た今も色褪せていない。それを象徴するのが21年、アメリカでNPO「オリヅル基金」を設立して、真珠湾の戦艦アリゾナの追悼施設に、「サダコの折鶴」を展示するために尽力した、クリフトン・トルーマン・ダニエルさんだ。原爆投下を命じたトルーマン大統領の孫であるダニエルさんは、「原爆は戦争終結のために必要なこと」という教育をずっと受けてきたが、1999年に考えが変わるようなことがあった。

<広島で被爆後、白血病が治ると信じて千羽鶴を折り、12歳で亡くなった佐々木禎子さんの物語を、10歳だった息子が学校から持って帰ってきたことがきっかけだった>(朝日新聞デジタル2016年5月28日)

 つまり、国際社会で千羽鶴というのは「核兵器の恐ろしさ」をあらためて思い出すために使われることが一般的なのだ。実際、オバマ元大統領も広島を訪問した際には、鶴を折ってきて原爆資料館に手渡すというサプライズをしている。

 ここまで言えば、なぜ筆者が千羽鶴をウクライナではなく、ロシアのプーチン大統領に送るべきだということが、ご理解いただけたのではないか。