私たちは現在、当たり前のように、高度な医療技術の恩恵を受けている。だが、その裏には、自らの身体を犠牲にしながら、繰り返し実験する先人たちの苦難があった。『すばらしい人体』では、自分たちの身体が持つすばらしい機能を解説しながら、優れた医療技術が生まれた背景についても解説している。特に麻酔薬の発明は、それまでの凄惨な手術の現場を一変させることになった。身を呈して麻酔薬の開発に挑んだ二人のキーパーソンとは? ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者の山本健人氏に詳しく聞いてみた。(取材・構成:真山知幸

【ベストセラー外科医が教える】自らに「人体実験」を繰り返した研究者の悲惨すぎる結末Photo: Adobe Stock

妻と母に麻酔の実験

――麻酔薬が生まれる前、外科手術はひたすら痛みに耐えなければなりませんでした。私は偉人についての本を書いており、「チャールズ・ダーウィンは医学部生なのに手術現場から逃げ出した」という逸話を何度か紹介してきましたが、それだけ当時の外科手術は凄惨だったともいえます。麻酔薬はどのように普及していたったのでしょうか。

山本健人(以下、山本):麻酔薬が発明されて浸透するまでには、何人かのキーパーソンがいました。一人が江戸時代に紀州藩の医師だった華岡青洲です。父が医師だったので、青洲も「自分も将来は医師になりたい」と考えるようになったのでしょう。

 そんな青洲が取り組んだのが、数々の薬草を用いた麻酔薬の開発でした。幼いころから医療現場を目の当たりにして育ったので「痛みのない手術を実現したい」という思いが以前からあったとしても不思議ではありません。

 ただ、麻酔薬を完成させるためには、人体を使った実験がどうしても必要になります。青洲の夢を理解する妻と母から「自分の体で全身麻酔を試してほしい」という申し出があり、青洲は葛藤の末に実験を行ったとされています。

 1804年、青洲は麻酔薬の通仙散を用いて、世界初の全身麻酔を行い、乳がん手術に成功しました。以後、実に100人以上の乳がん患者に全身麻酔手術を行ったと記録されています。

笑気ガスを自らに使う

――青洲の奥さんは実験で失明したともいわれていますから、すさまじい話ですよね……。日本人が世界に先駆けて全身麻酔に成功したという事実には、勇気がもらえます。その後、世界中に急速に広まりましたか。

山本:華岡青洲は和歌山では知らない人がいないほどの偉人ですが、その功績を考えると、もっと知られてよい人物だと思い、『すばらしい人体』で取り上げることにしました。

 ただ、青洲の開発した全身麻酔薬は用量の調節が難しく、世界に広まることはありませんでした。広く浸透するきっかけとなったのは、二人目のキーパーソン、アメリカの歯科医ホレス・ウェルズです。

 18世紀後半から19世紀にかけて、アメリカでは亜酸化窒素という気体がパーティやショーで流行しました。ガスを吸引すると、酔っぱらったように楽しくなるものです。笑いが止まらなくなるので「笑気ガス」とも呼ばれ、今でもその名は使われています。

 ウェルズはこの「笑気ガス」を吸った人が、ケガをしても痛みを感じていない点に着目します。「もしかしたら、自分の歯の治療に使えるんじゃないか」と閃いたわけです。

 ガスを吸うことで痛みを感じなくなるのならば……とウェルズは自分の身体を使って、実験を開始します。

「ペテン師」とクロロホルム

――躊躇なく、自分の身体を使って実験するところが本当にすごいですよね。医学を前進させたいという情熱がそうさせたのでしょうか。

山本:あふれる情熱があったことはもちろんですが、歴史を紐解くと、かつては自分の身体を使って実験した科学者が少なくないんです。

 ピロリ菌を発見したバリー・マーシャルも自らピロリ菌を飲み込んで胃炎になったことが決め手になりましたからね……。リスクへの認識がまだ甘い時代だったと言えるのかもしれません。

 ウェルズは大量に笑気ガスを吸ったうえで、友人の歯科医師に抜歯をしてもらいました。すると、目を覚ましたときに、歯が抜けていたんです。「これは使える!」と確信したのでしょう。

 1845年にボストンのマサチューセッツ総合病院で、実演公開に踏み切っています。ウェルズはこの画期的な麻酔薬の発明者として、一気に名を挙げようとしたわけですね。

【ベストセラー外科医が教える】自らに「人体実験」を繰り返した研究者の悲惨すぎる結末山本健人(やまもと・たけひと)
2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、感染症専門医、がん治療認定医など。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワーもうすぐ10万人。著書に16万部突破のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)など。

――大発見ですものね。集まった聴衆たちの驚く顔が目に浮かぶようです。

山本:ところが、そううまくはいきませんでした。なぜか麻酔がよく効かなくて、患者さんが途中で痛みを訴え出します。

 実演は失敗に終わってしまい、ウェルズは「ペテン師」と散々に叩かれます。

 意気消沈しながらも、ウェルズの挑戦は続きました。名誉を挽回するために、今度はクロロホルムを自身に用いながら、実験を繰り返します。

 そして何度も何度も、自分の身体を使って試した結果、ついにウェルズは……クロロホルムの依存症になってしまいました。

悲劇的な結末

――やりすぎでしょう、それは! 夢中になると歯止めが効かないのは、偉人に共通した特徴ですよね……。

山本:重度の依存症に陥ったウェルズは、錯乱状態で記憶がないなかで、女性2人に硫酸をかけて大けがをさせてしまいます、正気に戻ったときは、拘置所にいました。

 ウェルズは、のちに自分の行いを聞かされて激しく苦悩します。そして、クロロホルムを吸ったうえで、剃刀で太ももの動脈を自ら切断し、拘置所のなかで自殺しています。

――あまりに悲惨すぎるんですが……。

山本:実は当時、ウェルズは相当なストレスを抱えていました。その理由が3人目のキーパーソン、ウィリアム・モートンの存在です。

 同じ歯科医だったモートンは、ウェルズの公開実演のときに助手を務めていたのですが、「自分こそが麻酔薬を発明してやろう」と表舞台に出て行ってしまうのです。

 モートンはやはりパーティで使われていたエーテルという別の気体に注目し、麻酔薬を発明しようとします。そして、あの実験の失敗から1年後、同じ場所で公開実演に挑んでいます。

 その結果、エーテルを使った患者さんは、全く痛みを感じることなく、あごの腫瘍が切除されることとなりました。

 実演を成功させたモートンが一躍、脚光を浴びるなか、ウェルズは挽回のために、クロロホルムでの実験を始めます。それが、思わぬ悲劇的な結果を招くことになったのです。

医学史は現在進行形

――そこから改良が重ねられて、より安全な麻酔薬が医療機関で実践できるようになったのですね。『すばらしい人体』の「第3章 大発見の医学史」では、このような先人たちの試行錯誤が数多く紹介されています。なんだか胸が熱くなりますね。

山本:医学の大発見によって、どれだけの患者さんが救われたことかと思いを馳せると、一人の外科医としても感服するばかりです。

 私たちがいかにその恩恵を受けているのかを改めて知ってほしくて書きました。

 そんな「大発見の医学史」は現在進行形で、研究者たちが今もまさにあちこちで奮闘中です。『すばらしい人体』が医学研究の重要性を改めて考えるきっかけにもなれば、うれしく思います。